2023年4月9日 川越の旧山崎家別邸を散策する


この日は何となく西武鉄道の特急ラビュー(むさし)に乗車したくなったので、午後から池袋駅へ。


特別な観光列車というわけでもないのに、この大きな窓が特徴です。


所沢からは西武新宿線の6000系に乗りかえ、本川越駅へやってまいりました。

多くの観光客でにぎわう川越。土蔵造りの重厚な街並みが特徴です。


路地に入ると、昭和レトロな感じの建物もあります。

川越を代表する光景である「時の鐘」。川越城主の酒井忠勝が1627(寛永4)年から1634(寛永11)年に現在の場所へ建てたものが始まりとされ、現在の建物は1893(明治26)年の川越大火の翌年に再建されたものです。

さて、川越は何度も来ていますが、だいたいいつも同じところを歩いてるので、大通りから1つ東側のとおりを歩いてみたところ、埼玉りそな銀行川越支店の裏側に、このような洋風建築が。1913(大正2)年に建てられた中正堂歯科医院で、現在の歯科として現役です。

さて、その近くにあるのが旧山崎家別邸。これまで、こんな建築があったことを知りませんでしたが、2019(令和元)年に国指定重要文化財となり現地でも大きくPRされていたので、初訪問。

この住宅は川越の経済界の実力者だった菓子商「亀屋」5代目の山崎嘉七が、1925(大正14)年に隠居所として建てた別邸で、洋館部と和館部からなる和洋館並列住宅。設計は、東京帝国大学で辰野金吾に師事し、三菱合資会社の技師長まで務めたことのある建築家保岡勝也(1877〜1942)。なお、大演習などで川越近辺を訪れた皇族方が立ち寄る迎賓館としても使われました。

北側には台所、浴室、便所のような水回りの部屋が集められています。




洋館は非公開ですが2階があります。階段踊場横には小川三知がデザインした、美しい色合いのステンドグラスがはめられています。


客室(応接室)。ステンドグラスを入れた西側の窓部分は、天井を一段下げているのが特徴です。また、天井全体は二十格子を粗く組んだ格天井で、和風となっています。

客間(9畳)。数寄屋造りで、8畳の広さに下り壁を介して1畳があります。

広縁(たたみ廊下)。

居間(8畳)。北側に神棚と床の間を備えています。


ベランダ(サンルーム)とその北側の児童室。別邸を訪れた孫のための部屋だったといわれます。


庭園と茶室も、和風庭園に造詣が深かった保岡勝也の設計。住宅から庭園、茶室に至るまで同一の設計者というのは珍しいですね。

日が暮れていて少し写真写りが悪いですが、洋館部分の外観です。1階は吹付モルタル塗り、2階は細い横目地の磨き壁といった、すっきりとした仕上げです。

日が暮れてきましたので、古い町並みを見ながら帰ります。


川越の町並みは耐火建築の重厚な雰囲気が他の古い町並みとは異なる雰囲気ですね。


惜しむらくは、メインストリートの交通量が多くて街歩きが大変なところでしょうか…。

こちらは大正浪漫夢通り。かつては銀座商店街として栄え、アーケードがありましたが1995(平成7)年に撤去し、洋風看板建築を中心としたレトロな街づくりを推進。蔵の街とは違った雰囲気で面白いですね。
川越は都内からこんな近くに、これだけ魅力的な街並みが残っているのが奇跡です。また訪問したいと思います。

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