2024年4月2日 381系特急「やくも」と備中松山城、北大阪急行延伸区間の旅


さて、引き続き「やくも」を追いかけたいところではあるのですが、方谷駅でかなり満足したことと、途中で備中松山城の文字が見えてくると行かざるを得ません。2007(平成19)年1月3日に登城して以来、気が付けば17年ぶりの訪問になりました。そんなに経ったとは…。

山麓から少し登った場所にある、城まちステーションで車を止めて、さらに「ふいご峠駐車場」まで「登城整理バス」で進んだのち、徒歩20分の山道を行くとこの山頂の天守に着くのですが、なかなか険しい道です。

途中、上太鼓丸跡の石垣が見えてきました。

もう少し進んで、大手門跡へ。

こちらは三の丸。本丸に近づくにつれ、石垣の構成が複雑になり迫力満点。

そして国指定重要文化財の天守を中心とした本丸に到着。現存12天守のうち、唯一の山城にあるもので、2層2階の小ぶりな建物。1683(天和3)年頃の建築で、同時期に建築された二重櫓と三の平櫓東土塀とともに現存します。また、1997(平成9)年に五・六の平櫓、南・東御門、土塀が復元され、現在の景観になっています。

天守に入ります。

天守1階の様子

正方形の角材の角が外側に向けて並べられた連子窓(れんじまど)。外からは見えにくいのが特徴です。

天守建築当時の城主である水谷勝宗(みずのやかつむね)が、勧請した御社壇(ごしゃだん)があります。

こちらは国指定重要文化財の二重櫓。


平成30年12月16日に「猫城主 さんじゅーろー」として迎えられたオスのネコ。平成30年7月豪雨災害(西日本豪雨災害)の後に備中松山城に棲みついたそうです。仕事猫で有名なイラストレーター、くまみねさんがイラストを描いています。

「さんじゅーろー」は、マンホールのデザインにも採用されています。

さて、山麓へ戻り観光名所である「石火矢町ふるさと村」の1つ、武家屋敷通りへ。

こちらは武家屋敷 旧折井家で、江戸時代後期の建築。当時160石の馬回り役の武士が住んでいました。


こちらは武家屋敷 旧埴原家(きゅうはいばらけ)で、江戸時代中期の建築。120石から150石取りの、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅。

さて、ここで岡山行きの213系を撮影し…。


「緑やくも」の折り返しをゲットしました。

さらに、時間の都合で一瞬しか見られませんでしたが商家が並ぶ古い町並みも散策。こちらは高梁市商家資料館 池上邸で、両替商や醤油製造販売で財を成した高梁屈指の豪商・池上家の邸宅跡です。


豪渓〜日羽間で「ゆったりやくも」色を撮影。パノラマグリーン車連結編成でした。

ここで場所を一気に変えて水島臨海鉄道の車庫がある倉敷貨物ターミナル駅へ。


キハ37形やキハ38形などを撮影。

キハ30形は離れた場所に留置。

赤と青のツートンカラーとなっているMRT303。

キハ205は撮影しづらい場所に…。

ボートレース児島のラッピング車となっているMR305を三菱自工前駅で撮影。

さらに、倉敷市〜球場前間でDD200-17牽引の貨物列車を撮影。

倉敷市駅の西が側でMR302の三菱ガス化学のラッピング車撮影。脱酸素剤「エージレス(R)」デザインで、「食べられません。電子レンジ不可」のお馴染みの柄が車体全面に描かれています。

倉敷市駅前には水島臨海鉄道のデザインマンホールがありました。さて、大変お名残り惜しいところではありますが、ここでリン所員とお別れして倉敷駅へ。


糸崎行きの227系


赤穂線直通の播州赤穂行きの113系B-12編成。なお、10月15日に廃車回送されています。


福塩線直通の府中行き115系D-30編成。切妻型の先頭車改造車が特徴でしたが、こちらも10月3日に廃車回送されました。


出雲市行きの「ゆったりやくも」。「やくも」を撮りに来たのに、いつもの悪い癖で寄り道ばかりしていたので、少しでも撮り収めせねば…。

岡山方はクモハ381-501。自動解結装置や強化型のスカートが特徴的です。

続いて庭瀬駅へ移動し、EF64 1049号機牽引の貨物列車を撮影。元・広島更新色の車両ですね。


そして「スーパーやくも」色の通過をゲット。


岡山駅へ行き、折り返しの出発待ちの様子を撮影。


側面のロゴマーク

115系D-23編成。7月30日に廃車回送されています。さて、これにて岡山から撤収し、今度は大阪へ向かいます。



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