2024年9月23日 大雄山線と三島の楽寿園を散策する

何となく昼から西へ出発。小田原駅でEF210-165号機牽引の貨物列車を撮影。EF210の旧塗装も少しずつ珍しくなってきました。

続いて、伊豆箱根鉄道大雄山線の5000系5503編成。8月29日から小田原市の特産品である「柑橘類」をイメージしたカラー(オレンジ色)に変更した「オレンジ電車」になっています。

そして大雄山線の開業100周年企画で、大雄山最乗寺をイメージした天狗色(朱色一色)となった5501編成と、E233系を加えて3並びを撮影。

天狗電車を後追い撮影。

熱海駅からは、ラストランを間近に控えた211系に乗車。2両編成のSS編成でした。

こちらは伊豆箱根鉄道駿豆線の3000系。


さて、三島駅前の楽寿園を散策します。この場所は、明治維新で活躍した小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営された場所で、今でも別邸と庭園が残りますが、このほかにも様々な施設があります。このうち、どうぶつ広場では間近で動物たちと触れ合うことが出来ます。こちらは与那国馬で、おしりの骨が出ていて、あばらの骨が少し浮き出ているように見えるのが特徴です。



アルパカ。

マーラ。アルゼンチンの草原地帯(パンパ)に棲息するテングネズミ科の動物です。

ミニブタ


プレーリードッグ

ベネットワラビー。小型のカンガルーの一種で、アカクビワラビーと呼ばれることも。


園内にはJR東海の駅名標風の「楽寿園」看板とともに、C58 322号機が「さくら」ヘッドマーク付きで展示されています。

続いて園内にある三島市郷土博物館へ。こちらは、1890(明治23)年に描かれた小浜丘之図。現在の楽寿園周辺の様子が描かれています。

郷土博物館らしい、古墳時代など様々な時代の出土品。



複製品ですが、1181(治承5)年の源頼朝下文(くだしぶみ)。原本は三嶋大社の所蔵で、源頼朝が三嶋大社に寄進した川原谷郷のうち、一部地域が三嶋大社の支配を受け入れなかったことから、三嶋大社の訴えにより、支配権を改めて沙汰したものです。

こちらは1335(建武2)年に出された足利尊氏寄進状。足利尊氏が三福郷を三嶋大社へ寄進する旨の文書です。

こちらは1638(寛永15)年に出版された古今和歌集 両度聞書。

こちらは1437(永享9)年に出された三嶋暦。

三島宿中心部の復元模型。

こちらは三島宿全体の復元模型。三嶋大社を中心に栄えていた様子が分かりますね。

1693(元禄6)年に記された豆州君沢郡三島宿助郷書上帳。

1866(慶応2)年に出された箱根関所通行手形。

1934(昭和9)年に開業した当時の三島駅。

接待茶屋の茶釜(三島市指定文化財)。1879(明治12)年の製品で、接待茶屋とは難所であった箱根を行き交う人や馬のための無料の休憩所のこと。幕末である1854(安政元)年に経営難で一時閉鎖されましたが、1879(明治12)年に江戸時代末期の農民指導者 大原幽学の門人たち(八石性理教会)によって再興された際に使われました。接待茶屋は1970(昭和45)年まで存続しました。

こちらは接待茶屋の大釜(三島市指定文化財)。1879(明治12)年の製品です。

この他にも古い農家の一部を移築した上で、様々な郷土資料が展示されています。

足踏み式脱穀機


千歯こき

こちらは楽寿館(旧小松宮彰仁親王別邸)。手前に広がる小浜池は満水で、これまで何度も楽寿園に来たことがありましたが、初めてこのような光景を見ました。

楽寿館は年に6回公開されているそうです。明治時代を代表する日本画家たちによる襖絵などの装飾が特徴とのこと。



さて、三島駅前に戻ると、東海バスオレンジシャトル ラブライブ!サンシャイン!!ラッピングバス2号車がいました。

熱海駅に戻ると、E233系5両編成の沼津行きと伊豆急8000系(無塗装)が並んでいました。

往年の東急東横線のような雰囲気。


最後に、315系を撮影して〆としました。