○殿ヶ谷戸庭園と武蔵国分寺(東京都国分寺市)/撮影日:2003年9月27日(土)
 本日は、自宅近くを通る人身事故のメッカ・JR中央線の、30年だか40年だか延々と工事の進まなかった三鷹〜国分寺間の高架化工事が、ついに本格的にスタートするため、線路の切り替え工事が行われることに。

 そのため、夕方から〜翌日6時まで三鷹〜国分寺間がほぼ運休し、バスやその他の交通機関に振り替え輸送が行われるという大規模な工事です。具体的に堂線路を切り替えるのかと言いますと、新たに確保した土地に新線を引き、そこに三鷹〜国分寺間以外の路線と接続できるようになります。といっても、一部区間を除き、新線になるのは上り線だけで、下り線は従来の上り線を使うみたいですが・・。
 当然、駅も変わります。というか、もう既に仮駅舎になっているのですが、ホームも従来の物が使われなくなるので、お別れに写真を撮っていきました。少数でしたが同業者(鉄道ファンが、他の鉄道ファンを指すときに使う言葉らしい)もいらっしゃいました。

 写真は左、左上2枚とも武蔵小金井にて。
 なお、この後は撤去することになる既存の線路があった場所に高架新線を建設します。高架(こうか)って、高速道路みたいに地面を走っていない人工地盤ね。なお、元々この工事は、中央線を複々線化し、高架にして輸送力をアップする狙いだったみたいですが、どうも高架だけで終わりそうな気配です。また、引き続き国分寺から先の立川まで高架化工事が行われる予定です。
 その後、祖母と伯母と合流し国分寺市の史跡を見るために歩きます。
 まず国分寺駅そばにある殿ヶ谷戸庭園へ。昭和4年、財閥である岩崎家によって築造整備されたもので、そこそこの面積で、竹林や湧き水を利用したいけもあり、かなりお勧め。

(一番上の写真2枚も、殿ヶ谷戸庭園です)
 それから、庭園を出て歩きます。というのは、国分寺という名前が示すように、ここは聖武天皇が全国に立てさせた国分寺のうち、武蔵国に設置された寺があった場所です。

 現在でも、その流れをくむ国分寺は残っており、行って初めて知ったのですが、江戸時代に建てられた建物・門もいくつか残っています。こんな近くに歴史的建造物があったとは!

 案外、皆さんの家の近くにも古い建築が残っているかもしれませんよ。
 是非探してみましょう〜。
 それから写真5枚目は縄文時代の遺跡の発掘現場。
 武蔵野の台地ですから、このように結構遺跡が出てきます。もちろん、これは大黒屋さんの考古学レポートや、書いてくれと頼まれている発掘の技術に冠するレポートに使えるな、と。そんなわけでもちろん撮影。いや、実に幸運でした。
 さて、中央線の線路切り替え工事! 全国ネットで流れました。
 何故流れたかというと、大失敗したからです。
 なんだか、武蔵小金井駅付近のポイントと信号機の敗戦配線ミスだとかで、午前7時には完全復旧するはずだったのが、なんと午後2時近くまで復旧に手間取りました。

 問題は、これは予想外の事態なのでバスの代行輸送が出来なかったと言うことです(運転手が足りなかったため)。しかも、迂回ルートの1つであるJR南武線は人身事故。さらに、国分寺〜三鷹の運休ですむはずが、何故か運休区間は拡大し立川〜三鷹まで運休しました。

 そんなわけで左写真は、昨日佐都副所長が撮影した、非常に珍しい中央線の国分寺行き。
 それからこちらは、本日私が撮影した中央線の立川行き@「日野」駅。どこがどう、私の心を刺激したかは、鉄道ファンの方ならご存じと思います。

 なお、本日は特急もストップ。
 ゆえに、本来の復旧予定時間後に甲府や松本に帰ろうと思っていた方は、えらい迷惑を被ったみたいです。お疲れなさいませ・・・。