本日はムスタファ氏と共に、「お伊勢参り」こと伊勢神宮を参拝へ。
14(土)の夜に東京駅を出発する夜行快速「ムーンライトながら」で名古屋まで行くため、東京駅で合流。間もなく解体される、東京駅八重洲口の駅舎夜景を撮影します。ちなみに今回の旅行で初めて知りましたが、伊勢神宮って伊勢市駅近くの外宮(げくう)と、宇治山田駅からバス15分の場所にある内宮(ないくう)の2つから成り立っているんですね。
ところで、別に狙っていたわけではないのですが、本日は戦後間もなくから現在に至るまでの長い歴史を持つ、寝台急行「銀河」の大阪行きの最終運転でした。御覧ください、この人出! 幸いにも「どけ!」のような罵声もなく、列車は出発していきました。「寝台急行銀河、万歳!」と何度も叫んでいる人はいましたけど。静かに見送ってあげましょうよ・・・。
さて、我々は「ムーンライトながら」で東海道線を行きます。通勤電車では爆睡しているはずなのに、なぜかこの列車は、私は毎度のことながら眠れないのが難点。写真は長時間停車する浜松駅にて。
そして名古屋で近鉄名古屋線に乗り換えます。青春18切符+「ながら」という節約をしておきながら、時間の都合もあって、ここで近鉄特急に浮気(笑)。乗車したのは12220系でした。
ちなみに個人的には、今回が初めてとなる近鉄特急だったのですが、まさか入り口に洗面台があるとは思いもしませんでした。なるほど神社ではありませんが、まずは手を洗ってから乗車しろということですね(笑)。意外とこれ、スペースの有効活用となっている雰囲気です。
12220系は1969(昭和44)年に登場した車両で、近鉄の中では古参の部類に入りますが、車内は徹底的に修繕を受けているようで、新車並みの雰囲気。全く古さを感じさせません。
さて、JR関西本線やJR参宮線と並行したり交差しながら伊勢市駅へ到着。
JR伊勢市駅の敷地をわたって、外へ出ます。
ちなみに07年5月に、ここの銘菓である「赤福」の会長にして伊勢商工会議所会頭(当時)が、伊勢神宮への観光は車がメインだから、20年に1度行われる伊勢神宮の式年遷宮にともなう観光客激増に備えて、JR参宮線を廃止して、伊勢市駅と車庫の跡地に駐車場を作れと、とんでもないバカな提案をしていますが、それがここ。その後、皆さんご承知の通り「赤福」が偽装で袋叩きに遭うという、参宮線からの報復(?)を受けておりますが・・・。
伊勢市駅を出て、西へ500mの場所にある伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の別宮である月夜見宮へ。
小さな神社ですが、落ち着いた雰囲気でお勧めです。
ところで、月夜見宮から伊勢神宮外宮へ行く細い道は、神様が通る道、という意味の神路通り(かみじどおり)と呼ばれ、第2次世界大戦の前までは主要な大通りでした。現在でもこのように、古い建物が残っており、往時の繁栄を偲ぶことが出来ます。
同じく神路通りに面した古い建物で、東邸と呼ばれるもの。
そして伊勢神宮外宮を見学。衣食住をはじめすべての産業の守り神と呼ばれる豊受大御神を祭神としています。
20年に一度遷宮が行われることもあって、古い建物があるわけではありませんが、幹の非常に太い木が数多くあり、神社の長い歴史が感じられます。
遷宮というのは690年、持統天皇の代に始まった行事で、20年に1回、外宮と内宮(正宮)と、先ほど紹介した月夜見宮などの別宮の全ての社殿と鳥居を建て替えるという壮大な行事。同じ頃に造られた法隆寺の建物は今でも現存するというのに、何とも「勿体無い!」という気がしますが、おそらく神様を常に清浄な建物でお迎えするために実施されているのだと思われます。
正宮の場合、既存の建物の隣に移転先の用地が確保され、20年ごとに建物が入れ替わっていることになりますね。
そのままバスで伊勢神宮の内宮へ行くことも出来たのですが、ちょっと時間があったため、徒歩で近鉄の宇治山田駅へ。駅舎は1931年に参宮急行電鉄(当時)が全通したときに建設されたもので、設計は浅草駅なども手がけた久野節。国の登録有形文化財に指定されています。
改めてここからバスに乗っていこうと思ったところ、タクシーの運ちゃんに「乗ってけ」と言葉巧みに捕まる羽目に。もっとも、お蔭様でバスよりも早く目的地へ到着できました。
ここでちょっと地図を確認しておきましょう。前述の通り私はてっきり伊勢神宮というのは、外宮のことかと思っていたのですが、御覧の通り、結構離れた2つの宮から成り立っています。外宮のほうは伊勢市駅からでも宇治山田駅からでも歩けるほど近いのですが、内宮は少し離れております。内宮周辺を見た後は、北上して神宮徴古館、さらに伊勢市駅北の河崎問屋街という古い街並みを見学します。
さて、それでは内宮へ。五十鈴川の川上に鎮座しており、御覧の通り周りに高いビルなど何一つない自然豊かな風景。皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)
を祀っています。
宇治橋を渡ると、広い通りに出ます。電線すらなく、とにかく広々とした風景、なかなか見られるものではありませんね。
花粉症のつらい季節でありますが、一方で梅を観賞するにはもってこいの季節です。
伊勢神宮でも多少ですが咲いておりました。あれ?・・・梅でいいんですよね、これ? それとも桜?
やはり大木があちこちに。中々圧巻な風景が続きます。
そして参拝します。ちなみに、外宮でもそうでしたけど、ここから先は写真撮影禁止。
てなわけで、側面に回りこみ少し離れたところから撮影。ちなみに、やはり手前側は遷宮用の土地です。
ちなみにニワトリが多数放し飼いにされていました。その中でも引き締まった顔つきの奴をご紹介。
最近、植物も動物も、こうやってアップして撮るのが趣味です。
引き続いて内宮の鳥居前町である「おはらい町」を見学。江戸時代より多くの参拝客でにぎわった伊勢地域特有の切妻・入母屋・妻入り様式の商店や旅館が現在でもその姿を残しています。新しい建物でも他の建物と調和するように改築されているので、見事な街並みです。ごく一部、何を血迷ったか現代風のデザインで建築しているものもありましたが・・・。
赤福本店。偽装問題で揺れに揺れましたが、営業再開後は再び飛ぶように売れている雰囲気でした。
こちら百五銀行。新しい建物ですが、古い街並みに調和しています。なんだか、昔の両替商みたいですね。
右手は五十鈴川郵便局。こちらも昔ながらの雰囲気です。どこまでの建物が新しくて、古いのか良く解りませんが(笑)。
ちなみに、郵便制度が始まった頃の郵便ポストが再現されていました。
さて、続いてバスに乗って神宮徴古館へ。明治20年代に日本初の私立博物館として財団法人神苑会が企画したもので、1909(明治42)年に建築されました。ルネッサンス様式風の鉄筋コンクリート造りの建物と、ヴェルサイユ宮殿を模したという、ささやかな前庭が特徴。伊勢神宮に関する展示が数多く行われています。片山東熊の設計で、国の登録有形文化財。
直ぐ近くにある日本初の産業博物館、農業館。こちらも片山東熊の設計で、国の登録有形文化財。
さて、宇治山田駅に戻って勢田川沿いに約1km続く古い町並みを見学。伊勢神宮参拝客への物資搬入でにぎわった問屋街で、河川改修によって近年に堤防と道路がつけられましたが、元来は川に面した倉庫に物資を直接搬入する仕組みになっていました。
現在でも数多くの古い建物が残っていますが、これは住民の皆さんがNPO法人を設立して行政と協同で、しっかりとした街並み保存の方針と景観保存の計画を練ったことによるもの。
伊勢河崎商人館。こちらは江戸中期から1999(平成11)年まで営業していた旧小川酒店を修復し、保存活用しているもので、NPO法人伊勢河崎まちづくり衆が運営しています。広々とした居間や茶室、それに数多くの倉庫に様々な古文書が展示されているなど見所が満載で、様々なイベントにも使われています。
こちらは1930(昭和5)年築の町屋。現在は炉辺焼き店として活用されています。
こちらは約250年前に建てられた町屋。元々は雑貨問屋角仙(村田家)の店舗でしたが、現在は美容室。
先ほどの村田家の本宅。村田家は代々、河崎の年寄衆を務めた名家で、現在は8代目だとか。母屋は1929(昭和4)年築。
河崎の町並み。
さて、この後用事のあるムスタファさんの都合にも合わせて、多少早めですが帰路に着きます。こんどは近鉄ではなく、JR参宮線〜伊勢鉄道〜JR関西本線経由で名古屋に向かう、快速「みえ」に乗車。ディーゼルカーですが、物凄い俊足。単線なので、どうしても対向列車の待ち合わせをしないといけないのはやむをえないところですが、終点までぶっ飛ばしてくれました。
名古屋駅の新幹線ホームより、未だ乗っていない「あおなみ線」を撮影。意外と名古屋周辺は鉄道の撮影をしていないので、う〜ん、来週大阪に行くついでに、途中下車してくるかなあ・・・・。
ムスタファさんの提案により、今回は「こだま」グリーン車で帰還。「ぷらっとこだま」なる企画切符で安価に乗車できました。実は特急や新幹線のグリーン車は今回が初めて。広々とした座席はなかなか感動。しかし、次から次へと「のぞみ」「ひかり」に追い抜かれていくのは・・・。まあ、快速「ムーンライトながら」で名古屋に行った人間の言葉じゃないですけどね。