武蔵野線 Musashino Line
 貨物路線だった武蔵野線に101系が投入され、旅客運用が開始されたのは1973(昭和48)年のこと。府中本町〜西船橋で運用を開始し、当初は田園地帯を通勤電車が走るという奇妙な光景でした。しかし、次第に沿線へ住宅地が広がるようになり、通勤路線として発展。1986(昭和61)年には103系化が完了します。さらに、京葉線が開業すると西船橋から直通運転を開始するようになり、東京郊外を半周し、東京へ至る運用となりました。
 一時201系が投入されたり、205系が2編成活躍する程度の103系天国だった同路線でしたが、山手線から転属してきた205系によって、平成17年度に103系は撤退しています。
(上写真:船橋法典駅/撮影:デューク)

国鉄末期、各地からかき集められた車両によって運転されていた頃の103系。見事に3色編成を実現。
このようなカラフル編成は武蔵野線ならではの光景でした。
(写真:南越谷駅/撮影:ぶち姉様 禁転載)


昭和60年のダイヤ改正の宣伝のヘッドマークを掲げている103系。
編成番号は15となっていますが、現在のケヨE15編成とは関係ありません?
(写真:場所不明/撮影:ぶち姉様 禁転載)


現在の快速「むさしの」号の前身とも言うべき大宮から府中本町までの快速列車。国鉄時代の名物列車でもありました。
(写真:大宮駅/撮影:ぶち姉様 禁転載)


6両編成と8両編成が混在していた頃のトタ6編成。8両編成には前面に「8cars」のステッカーが貼付されていました。
(写真:新浦安駅/撮影:デューク)


武蔵野線最後の低運転台車を先頭に持つケヨE7編成。
武蔵野線の車両は中央快速線の201系が豊田電車区に集中配置になった関係で、京葉総合車両センターに転属しました。
(写真:舞浜駅/撮影:デューク)


京葉線の205系と並ぶ103系。
(写真:新浦安駅/撮影:デューク)


 (写真:東浦和〜南浦和/撮影:タケチャンマン様 禁転載)


(写真:西国分寺駅/撮影:鈍行様 禁転載)


(写真:西船橋駅/撮影:さいとう様)


(写真:新松戸駅/撮影:デューク)


(写真:新松戸駅/撮影:デューク)

次のページへ→