特急「あさま」は鉄道の難所だった碓氷峠を越える特急列車として、1966(昭和41)年に181系で運転を開始した列車。1971(昭和46)年には、485系をベースとして碓氷峠で電気機関車EF63と協調運転できるようにした489系が開発され、1973(昭和48)年10月より特急「白山」の間合い運用で運転を開始している。
1975(昭和50)年10月には、183系をベースに碓氷峠でEF63と強調運転可能にした189系が投入され、181系を置き換えて「あさま」主力車両にとなり、489系が「あさま」運用を離れた時期もあった。
一方で1986(昭和61)年11月、「あさま」増発用として489系3編成が長野第一運転所(当時)に転属してきたが、この489系3編成は交直流特急型電車であるにもかかわらず、引退まで直流区間しか原則として走らず、かなり異質な使われ方をされた。JR東日本が発足すると、この3編成もそのまま引継がれ、189系に併せてリニューアル工事が行われた。この中で189系共々塗装変更されたが、さらに特急シンボルマークが撤去されたのは多くのファンを驚かせた。
さらに、1992(平成4)年3月14日改正で、白山が1往復に削減され、その分増発された「あさま」にJR西日本(金沢)の489系が使用が開始。当初は、ボンネットと非貫通型が2本ずつ運用に就いたが、ATS−P取り付け関連工事に関して金沢の白山編成はボンネットに統一された。
そして1997(平成9)年に長野新幹線が開業すると、「あさま」は新幹線へ発展し、在来線特急としては廃止になり、「あさま」に使用された長野の489系は姿を消した。金沢の489系については、引き続き急行「能登」などで使用されている(※現在は引退)。
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