登場年:1961(昭和36)年
運転区間:大阪〜青森など
1961(昭和36)年の特急大増発を行ったダイヤ改正の際に大阪と青森・上野を結ぶ気動車特急として「白鳥」は誕生した。青森編成・上野編成とも食堂車付きの6両編成ずつで、直江津までは12両の長編成でのパレードとなった。
開業当初、北陸本線の大聖寺と動橋の間で停車駅を巡ってひと悶着あり、上下線で停車駅を分割する珍事となった。また、能生駅では上下線の列車交換を行うために運転停車を実施したが、これを客扱いと勘違いした住民がパレードを行う一幕などもあり、運転開始当初から、なかなか色々なエピソードを持つ列車であった。
その後、混雑を緩和するために増結が実施され、最大14両編成が実現するが、青函連絡の青森編成の混雑が激しくなってきたため、1965(昭和40)年に上野編成は独立し、「はくたか」となり金沢折り返しとなった。この列車は後に「白山」となる。青森編成はこれで14両のまま新潟まで行きここで4両を切り落とし10両が青森まで行く運用に改められるが、後に485系の「北越」が誕生したため、1両減車し13両化され、全編成が青森へ直通することになった。
1972(昭和47)年に日本海縦貫線が全線電化されたため、「白鳥」は電車化され新たに485系によって運転されることとなった。電車化の後、最初の転機となったのは1982(昭和57)年のことで、それまで全線電化区間を走る特異な気動車急行であった「しらゆき」がようやく格上げされることとなり、「白鳥」に編入されて福井〜青森の列車が登場し。ただし、この列車は1985(昭和60)年の改正で系統分割の上で廃止されている。
その1985(昭和60)年の改正では、ついに「白鳥」から食堂車が廃止され、なんとか10両編成は維持したものの、味気ない編成になった。更に翌年の改正では1両減車が実施され9両となった。また、この改正で運転担当が新潟の上沼垂運転区(現、新潟車両センター)に移行している(前年に青森から向日町に移管したばかりだったが・・・)。
この状態でJR時代に突入したが、上沼垂の485系は塗装変更され、グレードアップ改造なども受け、面目を一新している。1997(平成9)年の改正で{「はくたか」の運転開始等の影響で再び向日町運転所(現、京都総合車両所)に担当が戻り、車両も同じ485系ながらも国鉄色に戻った。
国鉄時代の末期から長距離特急は過去帳入りした感があったが、「白鳥」だけは1961(昭和36)年の登場の時からほとんど運転区間が変わらない稀有な特急であった。しかし21世紀に入って最初のダイヤ改正で・・・つまり2001(平成13)年3月のダイヤ改正で金沢・新潟で系統が分割され、ついに廃止されてしまった。
なお、2002(平成14)年に八戸〜函館間の特急として再登場している。引き続き、
こちらよりご覧いただきたい。