七ノ瀬悠紀の京都情景写真集 |
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第3回にして、日本の旅では通算第30回は比叡山である。
古くから山岳信仰の場として栄え、788年に最澄が比叡山寺、後の延暦寺を造り、現在ほぼ全山が延暦寺となっている。奈良の南都仏教に対抗し、天台宗の総本山として栄え、後の鎌倉時代の浄土宗を始めとする新仏教へとつながる。
平安時代末期には「鴨の水と賽(さい)の目と延暦寺は意のままにならぬ」と、白河法皇を嘆かせるほど一大政治勢力にもなり、また、僧兵がその軍事力の中心となる。
戦国時代に織田信長と敵対し全山が焼き討ち、多くの人々が殺されると悲劇が起こった。しかし、豊臣秀吉・徳川家康の援助により復興。そして1996年には、宇治の平等院鳳凰堂などと共に延暦寺は古都京都の文化財として世界遺産になったのである。
比叡山はまた、古い杉、シイ・カシなどが生い茂り鳥類の繁殖地ともなっている。1930年には天然記念物に、1950年には琵琶湖国定公園の一部となっている。(解説:所長)
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