宮沢賢治ゆかりの地〜岩手県花巻市〜



○解説

 岩手県花巻市は岩手県南西部の都市。中世には鳥谷ヶ崎(とやがさき)といわれていましたが、16世紀末に南部家の領地になって花巻と改称されました。「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」などの著作で有名な宮沢賢治(1896〜1933年)の生誕地でもあり、花巻市は彼が提唱した理想郷(イーハトーブ)を合言葉に美しい風景を提供しています。
(撮影・解説:裏辺金好)

○場所



○宮沢賢治関連


宮沢賢治記念館
 まず最初に訪れるべき場所。宮沢賢治がよく散歩した胡四王山の中腹に立てられた記念館で、彼の生涯と、そして彼が科学者であり、その知識が彼の文学に与えた影響を感じることが出来ます。東北新幹線新花巻駅から車で5分ほど。

宮沢賢治記念館庭園
 下にある宮沢賢治イーハトーブ館(研究者向けの施設)との間にある洋風の庭園。

宮沢賢治童話村
 宮沢賢治の世界を楽しく学ぶ学習施設。子供が楽しめる施設なので大人は・・・?と思いきや、これがすごく楽しめます。特に、宮沢賢治の作品で描写される動物や植物の解説は必見。

宮沢賢治童話村
 順番にたたいていくと、宮沢賢治が作曲した曲になります。

宮沢賢治童話村銀河ステーション
 
童話村への入り口。

宮沢賢治童話村銀河ステーション
 ゆったりとした時間が流れる童話村。

旧宮沢賢治宅(羅須地人協会)
 花巻農業高校内に残る宮沢賢治の家。同高校の前身である花巻農学校の先生を退職した彼が、宮沢家の別邸で始めた独居自炊生活の場です。そして1926年に羅須(らす)地人協会を設立し、付近の農民へ農業指導を行ったり、童話や音楽音鑑賞会などを主催しました。
 賢治が亡くなった後、家は売却されこの地に移築。それから時は流れ、賢治ゆかりの花巻農業高校がこの地に移転する際、この建物が残っていた・・・と、驚きの縁があります。
 「下の畑ニ居リマス 賢治」という当時の賢治の伝言板が今も残っています。

宮目方八丁遺跡
 賢治とは何の関係もありませんが、左の宮沢賢治旧宅脇にある遺跡。平安時代に源頼義、義家が安倍貞任を攻めた際に作られた陣屋跡と伝える資料もありますが、発掘の結果、それよりもさらに古い遺跡であることが判明しています。

宮沢賢治生家・豊澤小路蔵
 現在も花巻市豊沢町に残る宮沢家。ただし、賢治が生きていた頃の建物は空襲などにより焼失し、僅かに土蔵が外観をとどめているのみ。

賢治詩碑・羅須地人協会跡
 羅須地人協会の建物が本来あった場所。建物が移築された後、賢治と交友があった高村光太郎が石碑を建立しています。

賢治詩碑・羅須地人協会跡
 「下の畑ニ居リマス 賢治」というのは石碑近くの、この場所のこと。ただし、現在は畑ではなく田んぼになっており、当時の面影はとどめていません。

○風景

熊谷家住宅 [市指定文化財]  
新花巻駅前に(おそらく現役で)残る古民家。建築年代は不詳ですが、本屋、土蔵2棟、便所、屋敷神が市文化財に指定されています。

旧花巻町役場
1929(昭和4)年築。材木町公園に公民館として残る旧花巻町役場・花巻市民の家。

花巻電鉄デハ3形
 材木町公園に残っているもので、762mmゲージ鉄軌道線という非常に幅の狭い線路を走った路面電車。
花巻駅と温泉郷を結んでおり、「馬づら電車」との愛称もありました。

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