八幡山城、近江八幡の町並みとヴォーリズ建築達〜滋賀県近江八幡市〜


 今回は古い町並みと美しい近代建築が非常に魅力的な、滋賀県の近江八幡市を訪ねます標高271.9mの八幡山山頂にある八幡山城は、豊臣秀吉の姉・ともの子で秀吉の養子となった豊臣秀次が、安土城に替わる近江国の国城として1585(天正13)年に築城したもの。城下町は碁盤の目のように道路が整備され、整然とした城下町が形成されました。

 1590(天正18)年に豊臣秀次は清州城(尾張)に転封され、京極高次が入城しますが、1595(文禄4)年に豊臣秀次が切腹させられると、八幡山城は廃城となり、京極高次は大津城へ移ることになりました。

 秀次が集めた商人たちは、たくましく全国規模で商売を行い、近江商人の名を知らしめ、近江八幡は商人の町として大いに発展しました。上写真の古い町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、旧西川家住宅(国指定重要文化財)などがあります。

 また、近江八幡はアメリカ出身で日本で数々の建築を手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964年)が拠点とした場所としても知られ、近江八幡でも数々のヴォーリズ建築が残っており、こちらも現存の一部しか撮影出来ていませんが、併せてご紹介します。

 ちなみにヴォーリズは1905(明治38)年に英語教師として滋賀県商業学校(現・八幡商業高校)に赴任し、近江八幡に定住。キリスト教伝道のほか、関西を中心に百貨店から大学、個人住宅まで様々な建築設計を手がけたほか、様々な社会事業を展開し、製薬会社(近江兄弟社)の設立や、結核療養所(現ヴォーリズ記念病院)の設立なども行います。1941(昭和16)年に日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗り、1958(昭和33)年には近江八幡市名誉市民第1号となっています。
(撮影:裏辺金好 ※特記を除く)

〇地図



○風景


旧伴家住宅 【近江八幡市指定文化財】
 1840(天保11)年築。1819(文政2)年の大地震後に、七代目伴庄右衛門能尹が伴庄右衛門家本家として、十数年をかけて建築したものです。伴家は寛永年間に東京日本橋に出店し、麻布・畳表・蚊帳を商い繁栄を極めますが、明治維新後に没落し明治20年に終焉。この建物も当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校と変遷しました。戦後は近江兄弟社図書館として使用され、後に近江八幡市立図書館となりました。現在は一般公開されています。




近江八幡市立資料館(郷土資料館)
1886(明治19)年に八幡警察署として建設され、1953(昭和28)年にヴォーリズ建築事務所の設計で大幅な改築が行われ、現在の姿になっています。併設する歴史民俗資料館では、江戸時代末期の民家を修復して近江八幡の商家の帳場風景や当時の生活ぶりをそのまま再現しています。




森五郎兵衛邸
初代五郎兵衛は伴傳兵衛家に勤めたあと独立を許され、森五商店を設立。煙草や麻布を商った後、呉服商となって江戸日本橋や大阪本町にも出店するなど活躍。1745(延享5)年に屋号を近江屋三左衛門とし、現在も森家が社長を務める近三商事株式会社として存続しています。




旧西川家住宅(現・近江八幡市立資料館) 【国指定重要文化財】
1706(宝永3年)築。店の部分と居宅部分に分かれており、突き出した座敷玄関を持っているのが特徴です。こちらの西川家は初代西川利右衛門数吉が1585(天保13)年にこの地で創業したもので、屋号を大文字屋。蚊帳や畳表を商い、江戸、大坂、京都に店を構えた家で、「先義後利栄・好富施其徳」(義理人情が第一、利益は後回し)を家訓としました。1930(昭和5)年に後継者がいないまま終焉しました。


西川庄六邸 【滋賀県指定文化財】
江戸時代中期築。初代西川利右衛門数吉の次男である西川庄六が分家した商家で、江戸に出店し、薩摩藩主島津家御用商人にもなるなど西川利右衛門家に次ぐ近江八幡の豪商となりました。現在も西川家が社長を務めるメルクロス株式会社という商社として事業を展開し、この場所も西川庄六商店(旧・大文字屋)として扇子などの販売、特注などを行っています。


近江八幡市立八幡小学校
元々の建物は1917(大正6)年築。1990(平成2)年に新築復元されました。



旧八幡東小学校(現・白雲館) 【国登録有形文化財】
1877(明治10)年築。近江商人たちの尽力によって八幡東小学校として建てられたもので、設計は高木作右衛門。後に八幡町役場や蒲生郡役所として使用。現在は観光案内所となり、近江八幡の歴史に触れることができます。



八幡堀
 豊臣秀次が城下町を開いた際に琵琶湖を往来する荷船すべてを八幡に寄航させる目的で作られた運河です。一時期は放置され埋め立て計画も出ましたが、地元の運動により昔の姿をとどめたまま現在に至ってます。また時代劇のロケ地としても有名なようです。




日牟禮八幡宮
 「ひむれはちまんぐう」と読みます。1000年の歴史を持つ古い神社で、近江八幡の総社として大いに発展。また二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」という大きな祭も行われます。

八幡山城
山頂部の山城と谷筋の空間に設けられた居館部分に分かれ、山城部分は総石垣造りです。



村雲瑞龍寺
八幡山に建つ寺。元々は京都の日蓮宗の寺院でしたが、豊臣秀次の菩提寺であったことから、昭和37年に移築されました。門は本丸への虎口跡です。


八幡山城
本丸周辺の石垣


八幡山城北の丸跡


八幡山城北の丸跡からの眺め
奥は安土城跡です。



八幡山城西の丸跡


八幡山城


近江兄弟社学園ハイド記念館 【国登録有形文化財】
1931(昭和6)年築。設計:ヴォーリズ建築事務所


ヴォ−リズ記念館 【滋賀県指定有形文化財】
1931(昭和6)年築、設計:W.M.ヴォーリズ。建築、医療、教育、社会事業と幅広い分野で活躍したウイリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留)氏が生前に生活していた家です。この記念館では彼の遺品や資料を展示していますが中に入るには予約が必要です。


野間清六邸(現・ボーダレス・アートミュージアム NO-MA)
1930(昭和5)年築。京風数寄屋造りの町屋で、江戸中期(1744年)に下総(茨城県)に出店し、結城藩水野家の御用金を承り名字帯刀を許されるなど、結城の御三家と言われるほど勢力を誇った野間清六家の分家です。


奥村家住宅
江戸時代後期築と推定。切妻造り桟瓦葺き2階建ての建物で、かつて呉服屋を営んでいました。


近江八幡教会
ヴォーリズとも縁があった教会で、1981(昭和56)年に失火により全焼したため、1983(昭和58)年に一粒社ヴォーリズ建築事務所の設計で再建されました。


旧近江兄弟社 地塩寮 
1940(昭和15)年にヴォーリズの設計で近江兄弟社の独身成年社員宿舎として建築。地塩とは「あなた方は地の塩である」という聖書の言葉に由来し、1階には語らいの場としてロビーが設けられました。1984(昭和59)年に近江八幡教会が取得し改築しますが、外観は当時の姿をとどめています。

アンドリュース記念館
1907(明治40)年築。ヴォーリズが手掛けた最初の建築で、ヴォーリズの大学時代の親友であった”ハーバート・アンドリュース氏”を記念したものです。当初は「アンドリュース記念近江八幡基督教青年会館(YMCA)」と称しました。



旧八幡郵便局
1921(大正10)年築、設計:W.M.ヴォーリズ。1960(昭和35)年まで郵便局として使われ、現在はギャラリーやイベント会場などの多目的スペースとして活用されています。和風とスパニッシュを融合させたデザインが特徴です。


正福寺山門・本堂 【滋賀県指定有形文化財】
浄土宗の寺院で、元々は安土城を築城する際に織田信長が玉念上人を招いて開いたのが始まり。豊臣秀次が八幡城を築く際に現在地へ移転しました。本堂は1645(承応3)年に建築され、木造平屋建て、入母屋、本瓦葺、正面1間向拝付き。表門は一間薬医門で、本堂に続いて建築されたと考えられています。



西光寺
市内屈指の規模を持つ浄土宗の寺院で、円山応挙の筆になる衝立「芦鯉の図」など、国・市指定の文化財を保有。小堀遠州作と伝えられる石灯篭もあります。

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