今回は大分県の国東半島の南に位置する城下町、杵築(きつき)市を御紹介。台地上に城下町が形成された特殊な町並みが今も残り、多くの観光客が訪れています。元々は1394(応永元)年、大友親重が木付ノ庄に築城したのが城下町形成の始まり。
杵築の大友氏は木付氏を名乗り、4代目の木付頼直が現在地に城を築城。のち、戦国時代までこの地を領有しますが、豊臣秀吉が九州を占領し、のちに大友氏本家が秀吉によって改易されると、木付氏も去ることになりました。
その後は色々と領有者が変わり、江戸幕府が杵築と地名を書いたことから、木付から杵築に地名が変更。そして1645(正保2)年に能見扶親が3万2000石で入封。以後、明治維新まで能見氏が杵築の地を納めました。
一番上の写真は杵築の代表的な坂道の一つである、勘定場の坂。
坂の上からは写真手前側に向かって、杵築城と海が見えるのが特徴です。