今回は1887年に起きた、日本最後の内戦とも言われる、明治政府軍と西郷隆盛率いる反政府軍(薩軍)が激突した西南の役の激戦地、そして桜の名所として知られる田原坂(公園)を紹介したいと思います。
田原坂(たばるざか)はいわずと知れた西南の役の激戦地で3千人という多くの死者を出した所。熊本城に篭っている官軍を包囲し、更に北に進軍しようとする薩軍を官軍が待ち構えていたのが田原坂。当時田原坂は当時玉名(高瀬)から熊本へ大砲などを運搬し通過できるできる唯一の道でした。そのため、南下し包囲されている熊本城に兵を運びたい官軍はここを通るしかなく、薩軍とここで戦いが始まるのでした。
数や武器で優る官軍でしたが、切り通しのようなこの坂では本領が発揮できず、しかも坂の上や林の中などから狙い撃ちにされ苦戦する。しかし官軍は田原坂の南にある七本を攻め落とし、薩軍を挟み撃ちにすることで倒し、17日間に及ぶ田原坂の戦いはここに終結。以後、薩軍の勢力は衰えて後退していき、半年後に西南の役も終わるのでした。
上写真は一の坂。木がうっそうと生えていて、切り通しのようになっていて結構暗いのが印象的です。なお、またこういう場所柄なので心霊現象の噂が絶えないそうです・・・。なお、ここで紹介した以外にも公園内には復元された弾痕の残る家や土蔵造りの資料館などがあります。
(写真&解説:樺太南半分)