壱岐島の史跡巡り〜長崎県壱岐市〜
壱岐島は九州本島と対馬の間に浮かんでいる島で、距離的には佐賀県に近いのですが長崎県の管轄になっています。車が5台並べば渋滞(地元の人・談)、ボーリング場はあるがコンビニエンスストアはない、フェリーや空港はあるが電車は通ってないというなかなか面白いところです。
観光と第一次産業(海産物、葉タバコなど)が主という小さな島ですが、その実島内はまさに「日本史の教科書をそのまま凝縮した」ように、各年代に渡る地所が多く遺されています。
※余談・ここの名物はなんといっても雲丹。朝から晩まで食事は全てうに雲丹海栗海胆ウニ!!ごぅじゃ〜す。あと、壱岐は「麦焼酎発祥の地」と言われており、WTOによって「地理的表示」の産地指定保護(つまりシャンパンやボジョレー・ワインと同系列の扱い)を受けています。
(解説&撮影:八十八舞太郎)
○地図
○風景
猿岩
そのまんま猿の横顔のように見えることから名づけられた大岩。後述する黒崎砲台跡の真横にあります。徒歩1分というか、黒崎砲台跡を眺めて回れ右したらそのまま猿岩がある感じ。
しかし猿に見えるのはこのアングルからだけで、正面や逆側から見ると本当にただの岩になってしまう。自然の妙。
原の辻遺跡
壱岐島は古く「魏志倭人伝」にも表記がされている場所なのですが、その「一支(いき)国」の中心と言われているのがこの原の辻遺跡です。弥生時代の集落跡であり、島という場所や規模から鑑みても破格の量の土器やその他生活用品が、かなり状態の良い形で発掘されています。
原の辻展示館には遺跡から出土した土器を始めとした様々な道具が展示され、展示館の傍には当時の住居と高床式倉庫が再現されていて、自由に中を覗くことができます。
原の辻遺跡
古墳
また、こことは別に島内には古墳があちこちに点在していて、一説には300以上がこの島の中に在るということです。
黒崎砲台跡
対馬海峡を通る敵艦を砲撃する目的で昭和8年に設置された、東洋一の射程距離を誇ると称される砲台。元々はワシントン軍縮会議で廃艦となった戦艦「土佐」の主砲をそのまま転用したもの。砲身は18mで口径40cm、その射程は35kmに達したという。
ただ設置はしたものの実際に使われることは一度も無く(試射をしたことはあるそうですが)、結局戦後になって解体されてしまいました。不遇。
黒崎砲台跡
現在は地震によって地盤がゆるくなり、落盤の恐れがあるため入り口からあまり奥には入られなくなっています。上写真は砲台跡を上から覗いてみたもの。
左京鼻
その名の通り海上にニョッキリ鼻のように突き出ている岩礁。名前の由来は江戸時代に日照りが続いたときに降雨を祈祷した陰陽師からだという。
左京鼻
左京鼻を臨む岬も見ての通り荒波に削られてかなり切り立っているので、足元にはくれぐれも注意。
左京鼻
この写真の位置から一歩でも踏み出せば10m下に墜落します、冗談抜きで。
左京鼻
松永記念館
明治から昭和にかけて電力事業に携わり、電気事業の民営化を強力に推進し「電力の鬼」とまで呼ばれた、島が生んだ最大の偉人、松永安左ェ門(1875〜1971)の記念館。生家跡に建てられた記念館には彼にまつわるさまざまな物が展示してあります。その中には福沢諭吉や張作霖、池田隼人といった著名人にまつわるものも。
因みに、美術コレクターでもあった彼が集めたコレクションを公開してある施設(元松永翁の居宅)が神奈川県小田原市にあり、こちらも「松永記念館」と呼ばれています。混同しないよう注意。
松永記念館
西鉄福岡市内線で活躍した516号が保存されています。彼が当時の九州電気取締役時に、その尽力によって福岡市内を走った路面電車です。
はらほげ地蔵
その名の通り腹にポッカリ穴が開いている6体の地蔵。海人さんが漁の無事を祈願するためとか色々な理由があるらしいがまぁとにかくはらほげ地蔵。 穴は満潮時にもお供え物があげられるようにということで、人為的に開けられたものらしい。
壱岐安国寺仏殿 【県指定重要文化財】
1780(安永9)年築。安国寺は室町幕府初代将軍足利尊氏が全国と2島(壱岐・対馬)に建立させたものですが、壱岐の安国寺は元々その地にあった寺を改名したものだそうです。建築では山門も仏殿と同じ時に建てられ、県の重要文化財に指定されています。
また宝物展示館もあり、そのいくつかは国の重要文化財に指定されているということです。
壱岐安国寺 スギの古木
この寺で一際目を引くのが、境内に立っている巨大なスギの古木。樹齢は1000年を超えているのではといわれています。