銀閣寺(慈照寺)〜京都府京都市左京区〜
銀閣寺の名前で知られる京都東山の慈照寺は、室町幕府第8代将軍足利義政が1482(文明14)年から造営を始めた東山山荘に由来します。応仁の乱に伴う京都の戦乱と後継者争いなど、政治に嫌気が差した彼は1483年、この地に完成した常御所(つねのごしょ)に移り住み、祖父である足利義満が造らせた北山山荘(金閣)や、夢窓疎石が手がけた西芳寺(さいほうじ)庭園をイメージした、この新しい山荘の建築の進み具合を見ながら茶の湯や連歌を楽しんでいました。
残念ながら、足利義政は山荘がすべて出来上がる前の1490年に54歳で亡くなりました。そして、その遺言により禅寺(臨済宗相国寺派)となったこの山荘は、義政の法号より慈照寺と名づけられ、有名な観音殿(江戸時代に銀閣と呼ばれるように)と東求堂が創建時の姿を今に伝えています。 (解説&撮影:裏辺金好)
○場所
○風景
総門
銀閣寺垣
まず目に入るのが、高さ4mを超える緑の垣根。外界を遮断するかのような雰囲気です。
書院・庫裏
方丈(本堂)
寛永年間(1624〜44年)の建築。
釈迦牟尼仏を本尊として安置し、内部には与謝蕪村、池大雅の襖絵が所蔵されています。
慈照寺庭園
奥にある円錐台形の丘みたいなものは向月台と呼ばれ、高さ1.2m。また手前に広がる庭園は銀紗灘(ぎんしやだん)と呼ばれます。江戸時代中期頃から造られたと考えられています。
向月台
銀紗灘
東求堂 【国宝】
1486(文明18)年築。足利義政が信仰していた阿弥陀三尊像が安置されていた仏殿で、その一室である同仁斎と名づけられた四畳半の書斎は、付書院と違棚が設置された最古の書院造として非常に有名です。
観音殿(銀閣) 【国宝】
1489(延徳元)年築。二層からなる建物で、1階は心空殿と号し、座禅が出来る住宅風な外観。2階は潮音閣と号し、観音菩薩像を本尊として安置した禅宗様仏殿風の外観です。
銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代からですが、実際に1階と2階が異なる様式なのは金閣を意識したものです。
お茶の井庭園
1931(昭和6)年に発掘されたもので、足利義政が茶の湯に使ったとも伝わる井泉。