内子座 【町指定文化財】
1916(大正5)年地区。内子町が木蝋や生糸の生産で潤っていたころ、人々の娯楽の場所として地元有志の出資により建築された木造2階建て、入母屋造の歌舞伎劇場。歌舞伎はもちろん、人形芝居、落語などが公演され、特に農閑期に利用されました。その後、映画館へと改装されましたが、昭和50年代に老朽化に伴い取り壊されることになりましたが、町民の熱意により保存された上、往時の姿へ復元。
再び歌舞伎劇場として再出発し、内子観光のシンボルとして活用されています。
内子座 【町指定文化財】
反対方向から撮影。惜しむらくは、玄関前のスペースが狭いため、正面から写真が撮影できないことです。
内子座 【町指定文化財】
屋根の形状は塔もついた堂々たる姿。
内子座 【町指定文化財】
歌舞伎などが公演していないときは、入場料を払えば自由に見学できます。
大正時代の劇場の雰囲気を体感できる、数少ない場所といえるでしょう。
内子座 【町指定文化財】
舞台にも上がることが出来るため、客席方向を見ることも可能です。
内子座 【町指定文化財】
舞台の下である奈落を見学することが出来ます。上写真は人力で回り舞台を動かす仕掛け。
内子座 【町指定文化財】
同じく奈落の様子。
内子町立図書館(旧、内子警察署)
1936(昭和11)年築。警察署として建てられたものですが、現在は図書館として利用。
内子町児童館(旧、化育小学校)
1879(明治12)年築。明治維新後、内子町の有志たちは一早く教育機関の充実を考え学校を設立。施設面も直ぐに立派なものへ改築するべきだとの議論が起こり、神戸居留地の洋風建築の視察等を経て改築されました。1901(明治34)年まで使用され、その後は内子郵便局、内子信用組合、内子町農業協同組合として使用。1983(昭和53)年に再び子供たちの施設として、児童館となり今に至ります。
内子町立図書館/内子町児童館
位置関係はこんな感じ。
商店街に残る古い商家
旧下芳我家住宅主屋 【国登録有形文化財】
明治中期築。木造2階建ての建築で、白漆喰と鼠漆喰を塗り分けて意匠を凝らし、
さらに千鳥破風に鶴の懸魚をつけた屋根が特徴。
旧下芳我家住宅主屋 【国登録有形文化財】
正面から撮影。非常に重厚な建築で素晴らしいスタイル。
商いと暮らし博物館
江戸後期から明治にかけての商家を利用した博物館。1921(大正10)年ごろの薬屋の様子を再現。
商いと暮らし博物館
昔ながらの雰囲気がかなりリアルに再現されています。
文化交流ヴィラ 高橋邸
遠来の人と時を談じ、文化を語った人高橋吉衡翁の生家であり、日本の麦酒業界の繁栄に貢献し、戦後の経済復興に通産大臣として大きな業績を残した高橋龍太郎翁を育てた屋敷(内子町ホームページより)。
内子でも非常に由緒ある旧家で、特に高橋龍太郎氏は日本のビール界や政治にも大きな足跡を残しています。
詳細については
http://www.town.uchiko.ehime.jp/sightseeing/kankou_takahasi.php を参照してください。