平城宮跡&宮跡庭園〜奈良県奈良市〜
○朱雀門ひろば
1998(平成10)年に復元された朱雀門。平城宮の正門で、ここを真っ直ぐ行くと第一次大極殿です。
朱雀門周辺は、2018(平成30)年3月24日に「朱雀門ひろば」として整備。こちらは、朱雀門ひろばの西側に整備された観光交流施設「天平うまし館」「天平みつき館」「天平みはらし館」「天平つどい館」。遣唐使の歴史解説、土産品の販売などが行われています。
復元された遣唐使船。元々は2010(平成22)年の平城遷都1300年祭で展示されたものですが、改めて整備の上で人工池の上に設置されています。
こちらは朱雀門ひろばの東側に整備された「平城宮いざない館」。平城宮全域の復原模型(1/200)などが展示されています。
兵部省跡
奈良時代の防衛省といったところで、朱雀門の脇にあります。
○第一次大極殿院
平常宮の北側に位置する「大極殿」をはじめとする南北約320m、東西約180mのエリア。天皇の即位や外国使節との謁見など国家の重要な儀式が行われました。「第一次」とされているのは、平城京は聖武天皇の時代、平城京→恭仁京→難波京→紫香楽宮と遷都され、745(天平17)年に再び平城京に遷都された際に、大極殿院の場所が第一次大極殿の東側へ大きく位置が変わったためです。第一次大極殿
2010(平成22)年復元。正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27mという巨大な規模。恭仁(くに)宮に遷都された際に同地へ移築され、恭仁京の廃都後、宮跡が国分寺に造り替えられた際に国分寺金堂となったと云われています。
ちなみに、今後は「築地回廊」「南門」「東西楼」が復元されていきます。
○第二次大極殿院
第二次大極殿跡
発掘調査に基づいて、基壇と廊下の一部が復元されています。果たして当時、どのような儀式が行われていたのでしょう。
内裏跡
写真に映っているのは天皇の住まいである内裏の建物を覆っていた、塀が建てられていた部分です。
内裏の井戸
内裏は天皇が日常生活を送ったり、通常政務をとる場所です。この井戸は1.7kmもの杉の木をくりぬいたと言う破格の大きさのもので、出土したものは遺構展示館で保存公開されています。
宮内省跡
内裏東側のエリアは、天皇家のために仕事する宮内省関係の役所があったと推定されています。
○東院庭園
東院(建部門)
平城宮から東に張り出すような格好で建設された東院。現在も東宮御所という表現があるように、東院とは主に皇太子がいた場所。後ほど紹介しますが、その庭園は発掘調査の結果復元されています。また、奥に見える森は宇奈多理(うなたり)神社があり、室町時代建築の社殿(国重要文化財)があります。そのため、これ以上の発掘調査は当面、難しそうです。
東院庭園
1967(昭和42)年、『続日本紀』に記載がある「東院」の場所から見事な庭園が発見。この発見で、奈良時代の庭園の姿が明らかになってきました。ちなみに、東院と名乗っていたのは聖武天皇の娘である孝謙・称徳天皇の時代のみで、他は現在と同じく「東宮」と呼ばれていました。
宇奈多理座高御魂神社本殿 【国指定重要文化財】
室町時代前期の建築。うなたりにいますたかみむすびじんじゃ と読みます。