現在の静岡県を流れる大井川は急流で大雨のたび洪水を起こすことで知られており、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という歌が残っているように、東海道屈指の難所でした。にもかかわらず江戸幕府は、大井川に橋の建造や渡し舟を禁止していました。それは大井川が、江戸や駿府城(静岡市)防衛のための自然の砦としての役目を担わせるためでした。その代わり幕府は、馬の背や人の肩を使い荷物・旅人を渡河させた川越(かわごし)をはじめ、この制度は明治時代まで続きます。
そして江戸幕府が倒れ、時代が変わると大井川の架橋が許可されるようになり至る所に橋が架けられました。
その中のひとつが、この蓬莱橋。
1869(明治2)年7月、徳川慶喜を護衛してきた旧幕臣たちが、大井川右岸の牧之原台地をお茶作りのために開拓。そして開拓が進むと島田のほうへ生活用品などの買出しに出かけるようになりますが、渡し舟での移動はやはり危険なものでした。そこで、静岡県令に架橋の願いを出し許可され、1879(明治12)年1月13日に蓬莱橋が完成しました。
こうして完成した蓬莱橋でしたが、木橋のため川が増水するたび橋脚の流失などの被害を受けるため、1965(昭和40)年4月に橋脚をコンクリートのものに替えて現在の姿となります。現在の蓬莱橋は全長897.4m、通行幅2.7mで、1997(平成9)年12月30日には「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックにも登録。また、開通以来通行料金を払う今では数少ない賃取橋でもあります。
(撮影・解説:ロクマルサン様 禁転載)
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