久能山東照宮〜静岡県静岡市駿河区(2)〜
  Kunozan Toshogu in Shizuoka City in Shizuoka Prefecture

▼MAP

▼アクセス
JR静岡駅・清水駅よりバス、または日本平よりロープウェイ(日本平まではJR静岡駅
よりバス)

▼関連サイト
久能山東照宮公式ホームページ
 久能山は日本平と共に海底の隆起によってでき、長年の侵蝕作用で現在のような孤立した山になりましたが、昔は日本平ともつながっていたといいます。さて、久能山は推古天皇の時代(600年ごろ)に久能忠仁が山を開き寺を建て補陀落山久能寺と称したといわれていたことが由来となっています。

 その後、行基をはじめ多くの僧たちが来て建物の数もとても多く非常に栄えていましたが、1225(嘉禄元)年に山麓の失火によって焼失してしまいました。そして1568(永禄11)年、武田信玄は当山が要害であることを聞いて久能寺を近くの現在の静岡市清水区の鉄舟寺(てっしゅうじ)に移し山上に城砦を築き久能城と称しました。さらに1582(天正10)年、武田氏が亡びて駿河国が徳川家康のものとなると久能山もそのものとなりました。

 その徳川家康が、1617(元和2)年に亡くなると、遺言により当山に葬られました。その際に久能城を廃止し、わずか1年7ヶ月で現在の東照宮を建立しています。その後に造営された日光東照宮へは、御霊の一部を移したといわれています。・・・さて、上写真は一ノ鳥居で久能山東照宮への入り口。そして、苦痛の始まり。詳しくは後述します(笑)。
(撮影・解説:ロクマルサン様 禁転載)

荻原章弘翁之碑

 「章姫(あきひめ)」というイチゴの品種を開発し、イチゴ栽培に貢献した荻原章弘翁の碑。なお、この久能山一帯の海岸線では山の斜面を利用したイチゴのハウス栽培(石垣イチゴと呼ばれる)が盛んで、イチゴ狩りも楽しめる。



表参道石段
鳥居から山の上へと続く石段。頂上までのその段数、実に1159段。
久能山というとこれを思い浮かべる人も多く、全て登りきるのはかなり大変。前述の苦痛とはこれのこと。


しかし、石段を登ってみるとそこから見えるのは駿河湾の絶景。水平線は丸く、西は御前崎、東は伊豆半島まで見えます。
ちなみにまだ階段は続きます。


一ノ門
全部写しきれていませんが、これ以上下がると断崖から真っ逆さまなのでご容赦ください。


門衛所
江戸時代に久能山の門を守る与力がいた番所で、ここで登拝者を制限しました。
老朽化のため、復元解体修理を施しています。


勘介井戸
武田信玄の軍師山本勘介(勘助)が掘ったといわれていて、久能山城を伝える貴重な文化財です。
深さ33mの石垣積み。


日本平ロープウェイ
久能山と日本平を5分で結ぶロープウェイ。
体力に自信がなくて石段を登れそうも無い時にはこれを使うのも手。



楼門 【国重要文化財】
後水尾天皇の書いた「東照大権現」の額が掲げてあるので、勅額御門とも呼ばれています。
左右に極彩色の随身を、後面左右に生彩色の狛犬と獅子が据えてあります。



勅額のアップ



久能稲荷神社・厳島神社



鼓楼
以前は鐘楼でしたが、鐘を太鼓に換えたため現在の名称になっています。



唐門 【国重要文化財】
四方唐破風造りで、細部にまでわたる彫刻と装飾が美しい。



神饌所



神楽殿 【国重要文化財】
武家奉納の絵馬を掲げたと伝えられています。



神庫 【国重要文化財】



日枝神社



御社殿 【国重要文化財】
1617(元和3)年に造営された江戸時代の代表的権現造りで日光東照宮の先駆けとなる建物です。
彫刻に総漆塗り、極彩色が施されてあって非常に威厳が感じられます。



神廟(しんびょう) 【国重要文化財】
石段1159段を登りきった御社殿の裏手にある、家康の遺言により遺骸を埋葬した場所で西向きに建てられています。