宇津ノ谷峠は、静岡市と藤枝市の境界に位置する標高210メートルの峠。
昔から交通の要衝として知られ、その歴史は平安時代までさかのぼります。宇津ノ谷峠越えとして最も古い道が、蔦(つた)の細道で、伊勢物語の中で詠われた和歌が名前の由来とされています。その後1590(天正18)年の豊臣秀吉の小田原征伐の際、スムーズに進軍させるため別の道を整備しました。これは旧東海道となり、蔦の細道に変わる峠越えのルートとなりました。すると蔦の細道は次第に忘れ去られてしまい廃道になってしまいました(ただし、昭和40年代ごろに復元)。江戸時代になり人の移動が多くなると峠周辺には鞠子(まりこ)宿、岡部宿が置かれ、旅人などでにぎわいました。
そして明治時代になると宇津ノ谷峠に大きな変化が起こります。
文明開化による交通量の増大により、杉山喜平次らが宇津ノ谷峠にトンネルを掘削することになりました。1874(明治7)年に掘削を開始し、1876(明治9)年に開通したこのトンネルは、日本で初めての有料トンネルとなりました。これは木造の合掌造りのトンネルで、まだ掘削技術が未熟だったためくの字に折れ曲がっていたのが特徴。残念ながら1896(明治26)年、カンテラの失火で消失崩落し、1904(明治34)年にレンガ造りのトンネルとして修復改修され再開通しました。
しかし、増加する自動車の交通量に明治のトンネルは耐えられなくなり、1926(大正15)年に、宇津ノ谷隧道(大正トンネル、または昭和第一トンネル)の建設が開始され、1930(昭和5)年に開通しました。
さらに戦後、モータリゼーションの進行で交通量が増大したため、1957(昭和32)年に新宇津ノ谷隧道(昭和トンネル、または昭和第二トンネル)の建設が開始、1959(昭和34)年に開通しました。このトンネルは従来のトンネルよりも標高の低い位置に建設されたので、所要時間が短縮されました。それでもなお交通量の増加は続き、1990(平成2)年に平成宇津ノ谷トンネル(平成トンネル)の建設が開始され、1998(平成10)年に開通しました。
こうして昔は難所とされていた宇津ノ谷峠も現在では難なく通過することができます。現在は国道1号線のトンネルが通っていて、さらに蔦の細道から国道1号線のトンネルまで全て通行可能です。
(撮影・解説:ロクマルサン様 禁転載)