適塾〜大阪府大阪市中央区〜


 適塾は幕末、医師・蘭学者である緒方洪庵が開いていた塾で、日本全国から1000人もの生徒が集まり、福沢諭吉、大村益次郎、大鳥圭介、橋本左内、長与専斎、佐野常民などを輩出。彼らは、オランダからの知識を競い合うように学習していき、彼らは幕末から明治にかけて各分野で活躍していきました。
*このうち、長与専斎は内閣府の初代衛生局長で、日本に衛生行政を確立。佐野常民は日本赤十字社の初代総裁。

 緒方洪庵自身も日本最初の病理学書「病学通論」を著したほか、種痘を広め、天然痘の予防に尽力するなど、幕末でも随一の医者として優れた業績を残しています。1862(文久2)年には幕府の奥医師として召されて江戸に行き、西洋医学所頭取を兼任しますが、翌年に病死しました。
 
 適塾はその後、緒方洪庵の養子である緒方拙斎が塾生の教育に当たりますが、1868(明治元)年に閉鎖。しかし、その当時の建物は今も残っており、1941(昭和16)年に国の史跡に指定され、1942(昭和17)年に緒方家から国(大阪大学)へ寄付。さらに1964(昭和39)年に国の重要文化財に指定され、史跡としての価値のみならず、当時の大阪の船場町屋の姿を伝える貴重な素材となっています。

 ちなみに建物は、1792(寛政4)年、船場の大火直後の建築と考えられています。
(撮影・解説:裏辺金好)

○地図



○風景


部屋割り


中庭


書斎

客座敷


蔵と庭園(前裁)


内庭(台所及び通り道)


女中部屋(ここから2階)

ゾーフ部屋  ゾーフ部屋とは、長崎出島のオランダ商館長ゾーフが、ハルマの蘭仏辞書に準拠して作成した蘭和辞書であるゾーフ辞書から来た名前。適塾では、オランダの本を読むことが学習の中心でしたが、当時、ゾーフ辞書は非常に貴重で、適塾にも1冊しかありませんでした。そのため、この部屋に置かれて塾生たちは奪い合うように辞書を取り合い、必死に勉強したそうです。

塾生大部屋
適塾内で起居する塾生は、1人1枚分の畳が与えられ、月ごとに成績順で好きな場所が選べました。
貧しい塾生も多く、粗末な食事で勉学に励んでいたようです。

緒方洪庵像

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