元々は聖武天皇が、後に恭仁京を造営することになる瓶原(みかのはら)を見下ろす三上山(海住山)中腹へ、735(天平7)年に東大寺の良弁僧正に開創させて造営したもので、当初は観音寺と称しました。大盧舎那仏造立を発願した聖武天皇が、その工事の安全を願ったものといわれています。
1137(保延3)年に火災によって伽藍を失いますが、鎌倉時代の1208(承元2)年に笠置寺の解脱上人貞慶によって再興され、観音霊場に因んで海住山寺と改称。このときに現在見られる伽藍の基礎が整備され、特に五重塔は解脱房貞慶の跡を受けた慈心上人覚真(藤原長房)によって1214(健保2)年に建立されたものが、今も残っており国宝に指定されています。
また文殊堂は1312(正和元)年の建立で、こちらは国の重要文化財に指定されています。
広い寺域を持っているわけではないですが、山上に広がる風景は別世界の厳かな雰囲気。ちなみに近世まで法相宗に属していましたが、現在は真言宗智山派の寺院となっています。
(撮影&解説:裏辺金好)