石舞台古墳は日本最大級の方墳(四角い古墳のこと)であり、現在では墳丘の盛土が失われて両袖式の横穴式石室が露呈しているのが特徴。重さ77トンと推定される天井石の形状が舞台のように見えることから、石舞台古墳として親しまれています。
創建時の姿は明らかではありません。 また被葬者は明らかではありませんが、1933(昭和8)年から1935(昭和10)年の発掘調査の結果、6世紀につくられた小古墳を壊して築造されたことが確認。7世紀初めごろの造営と考えられ、当時絶大な権力を誇った蘇我馬子の墓ではないかとも考えられています。
ちなみにこの発掘調査が行われるまでは、水田の中に上部だけが出ていた状態だったとか。 古くからそんな状態だったようで、江戸時代の1772(明和9)年に本居宣長の「管笠日記」でもその旨を記述。さらに、1829(文政12)年の津川長道が著した「卯花日記」では、蘇我馬子の墓であると考察がなされており、知識人たちの関心を集めていたことが伺えます。
(撮影&解説:裏辺金好)