高松塚古墳・キトラ古墳〜奈良県明日香村〜


 まず高松塚古墳は、藤原京期(694年〜710年)の間にかけて築造された古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)から成る2段式の円墳で、被葬者は明らかではありません。

 1962(昭和37)年頃、明日香村檜前の村人がショウガを貯蔵しようと、穴を掘ったところ擬灰岩の四角い切石を見つけたことが発見のきっかけで、1972(昭和47)年に遊歩道設置に関連して発掘調査を開始。発掘開始から間もなく、石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に描かれた極彩色の壁画が発見されて、一大ニュースとなりました。また鎌倉時代ごろに盗掘を受けていたものの、副葬品の一部も発見されています。

 輝かしい発見の一方で、石室内は相対湿度が100%近い高湿の環境であることから、必要があって人が僅かに石室に立ち入っただけでも環境が変化し、ここから壁画の劣化が進行してしまいます。既に数度にわたって保存修理措置が取られていましたが、特に2002(平成14)年から2003(平成15)年に撮影した写真を調査した結果、雨水の浸入やカビの発生による壁画の退色と変色が明らかとなり、大々的に報道されたことは記憶に新しいところです。

 現在は壁画の描かれている石室をいったん解体・移動して修復を行っているところで、10年かけた保存修理措置後に、古墳内部へ戻されることになっていますが、改めて発掘という古代の謎を解き明かす研究と、そのあとの保存処置の両立が大変な作業であることを認識させられました。

 キトラ古墳については後述します。 (撮影&解説:裏辺金好)

○高松塚古墳の場所



○高松塚古墳の風景





○キトラ古墳

 続いてキトラ古墳は、テラス状の下段が直径13.8m、高さ0.9m、上段が直径9.4m、高さ2.4mの二段築成作りの円墳。高松塚古墳からも近い場所にあり、1983(昭和58)年にファイバースコープによる探査の結果、石室内に玄武の絵が描かれていて大きな注目を集めました。

 さらに1998(平成10)年の高性能の超小型カメラによる探査、2001(平成13)年にデジタルカメラを用い調査した結果、石室内部には天文図と、玄武も含めて四神(四つの方位を守る神)の壁画があること明らかとなりました。

 高松塚古墳と異なり、唐風の人物を描いた男女人物像がないなど、高松塚古墳ほど唐の文化的影響を受けた絵ではないことから、高松塚古墳よりは古いものと考えられています。また、被葬者は明らかになっておらず、様々な説があります。

 壁画は非常にもろい状態であったことから、剥ぎ取ったうえで保存。古墳自体は2015(平成27)年に当時の大きさに復元され、2016(平成28)年9月には古墳前にキトラ古墳壁画体験館 四神の館が開園し、石室と壁画のレプリカや、期間を限定しながら実物の壁画を見ることが出来ます。

○キトラ古墳の場所



○キトラ古墳の風景




キトラ古墳壁画体験館 四神の館
高松塚古墳壁画館と異なり、展示物は撮影可能で入場無料。


石室レプリカ
南壁が開けられた状態で再現。南壁が一部欠けているのは、過去に盗掘を受けて破壊されたためですが、高松塚古墳と異なり朱雀の絵は破壊されていませんでした。




石室の絵


渡来人の暮らし(模型)



かつてのキトラ古墳保存施設

↑ PAGE TOP