石神遺跡(上写真)は、飛鳥寺の旧寺域に属する西北一帯に広がる遺跡で、斉明天皇(位655〜667年)の頃を中心に、各時代の遺跡が複雑に重なっています。斉明天皇の時代には東西の大垣と、長廓上の建物によって東西2区画に分けられた風景。
西側では廓付きの大規模建物があり、日常空間であったと考えられています、ちなみに後述する水落遺跡とは南へ通路によってつながっています。東側では掘立式の建物群が造られ、饗宴施設があったと考えられています。
なお、既に明治時代に須弥山石・石人像が掘り出されたことで有名でしたが、本格的な調査は1981(昭和56)年より行われました。
水落遺跡は、石神遺跡の一角にある飛鳥時代の時計台の跡で、日本書紀によると660(斉明6)年、中大兄皇子が日本で初めて造った漏剋(水時計)を据えた時計台であるとのこと。1983(昭和58)年の発掘調査の結果、貼石のある四角い土壇と、その上の4間四方の楼状建物の跡と、そして黒漆塗りの木製水槽を使った水時計が見つかりました。
(撮影&解説:裏辺金好)