日本でも有数の名家で、薩摩藩主として名高い島津家。宮崎県南部の都城市は、平安時代に「島津荘」という大荘園があった場所で、源頼朝が平家を滅ぼし、惟宗忠久(これむね
ただひさ)をこの地の地頭(荘園などの管理者)に任命したことが、島津家発祥となりました。
すなわち惟宗忠久は、これ以後に島津忠久を名乗り島津家初代となったのです。
その後、島津家は現在の鹿児島県の出水に本拠を移しますが、室町時代に分家の北郷義久がこの地に城を造り、都之城と命名。これが都城の地名の由来であり、そして都城は北郷家、のち江戸時代に姓を島津に戻したことから、通称「都城島津家」のお膝元として栄えます。
前置きが長くなりましたが、今回ご紹介する都城島津邸は、1879(明治12)年に都城島津家の邸宅として、一時鹿児島に移っていた島津久寛が都城に戻って建てたもの。1935(昭和10)年、陸軍大演習とこれに伴う閑院宮の宿泊に備えて、大きく改築を行いました。
さらに1953(昭和28)〜1954(昭和29)年に2階部分の増築、1972(昭和47)年に昭和天皇の宿泊に備えて、窓に鉄格子や外に非常口として螺旋階段を設置を設置するなど、改装しました。
そして都城市が島津家より寄贈を受け、さらに2008(平成20)年には邸宅と施設の8件が国の登録有形文化財に指定。都城市が都城島津伝承館の整備を行うと共に、一般公開を開始しています。
(撮影&解説:裏辺金好)