京都御所・京都御苑〜京都府京都市上京区〜
  Kyoto Gosho in Kamigyo-ku , Kyoto City , Kyoto Prefecture

 京都御所は鎌倉時代中期から1869(明治2)年まで歴代の天皇が住まわれていた場所。現在の建物は1855(安政2)年の建築。気軽に立ち入ることは出来ませんが、右リンク先を参照の上で、宮内庁に郵送で参観を事前に申請すると見学することが出来ます。

 また、往時は公家の屋敷が広がっていた御所周辺は、京都御苑という公園として解放されており、自由に入ることが出来、いくつかの見所があります。今回は京都御苑から撮影した風景をご紹介します。まず上写真は京都御所の南門である建礼門です。
(撮影&解説:裏辺金好)

▼MAP

▼アクセス
地下鉄烏丸線 今出川駅または丸太町駅

▼関連サイト
京都御所公式サイト


●京都御所

皇后門
西側に3箇所ある門のうち、最も北に位置するもの。


清所門
西側に3箇所ある門のうち、真ん中に位置するもの。
一般公開の際に京都御所に入る場合は、この門より入場します。


宣秋門
西側に3箇所ある門のうち、最も南に位置するもの。


中立売御門
京都御苑の西門の1つ。以下、南下して計3つの門をご紹介します。


蛤御門
京都御苑の西門の1つ。幕末に蛤御門の変の舞台となった場所です。


下立売御門
京都御苑の西門の1つ。

朔平門
京都御所の北門。北側にある門はこの門のみです。

建春門
京都御所の東門。御所の東側にある門は、東南にあるこの建春門のみ。


御車寄
それでは御所の内部へ。北西から南を通り、北東方向へ。つまり反時計回りに見学します。


御車寄
昇殿を許されたものが、正式に参内するときに使用した玄関


諸大夫の間
正式に参内した者の控えの間。身分によって通される部屋が違いました。


新御車寄
1915(大正4)年、大正天皇の即位礼に際して、天皇皇后両陛下のために建築されたもの。

月華門
紫宸殿南庭の西側に位置する門

月華門より
奥に見えるのは承明門。朱塗りの門や柱が平安時代を想起させます。

承明門
紫宸殿南庭の南側に位置する門

承明門(左)と日華門(右)
奥に紫宸殿が見えます。

春興殿

紫宸殿
天皇元服や立太子、節会などの儀式が行われた正殿。
写真右手に左近の桜、左に右近の橘が植えられています。

紫宸殿

清涼殿
天皇陛下の日常生活で使われた建物。平安時代はさらに大きかったそうです。

滝口
先ほどの清涼殿の写真右手のこの空間が滝口。
清涼殿を守護する武士が詰め、滝口の武者と呼ばれました。

小御所
様々な儀式や武家との対面の場として使用。寝殿造と書院造が合わさった建築様式です。
1867(慶応3)年12月9日の王政復古の大号令の後に行われた小御所会議の舞台です。


小御所
なお、1954(昭和29)年に焼失したために、1958(昭和33)年に復元されました。

蹴鞠の庭
なお、1954(昭和29)年に焼失したために、1958(昭和33)年に復元されました。

御学問所
御読書始の儀、和歌の会などに使用した建物。

御池庭
小御所や御学問所の前に広がる庭園

御常御殿
室町時代以降の天皇陛下の日常生活の場で、明治天皇も東京遷都前はここで過ごされました。

御内庭
室町時代以降の天皇陛下の日常生活の場で、明治天皇も東京遷都前はここで過ごされました。

迎春・御涼所(右)
迎春は孝明天皇の対面の場として用いられたもので、御涼所は天皇陛下の夏季の納涼所。

御三間(おみま)
七夕などの内向きの行事で使われた建物。

●京都御苑

中立売御門
京都御苑の西門の1つ。以下、南下して計3つの門をご紹介します。


蛤御門
京都御苑の西門の1つ。幕末に蛤御門の変の舞台となった場所です。


下立売御門
京都御苑の西門の1つ。


今出川御門
京都御苑の北門。


桂宮邸跡


中山邸跡
幕末の公家、中山忠能(なかやまただやす)の屋敷跡。彼は明治天皇の外祖父です。

拾翠亭(しゅうすいてい)
五摂家の一つ九條家の屋敷内に設けられた茶室


茶室「拾翠亭」と庭園「九條池」
明治になり公家屋敷が次々と取り壊された中で、貴重な遺構です。


閑院宮家跡
 閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つであり、この建物はその名残を今に伝えています。ただ、建物について詳しいことは良く解っていないそうです。
 現在は環境省の所管で、外観こそ立派な雰囲気ですが、内部は遺構を保存した上で現代的に改装。京都御苑の歴史と、ここで見られる鳥達などの解説が展示されています。


閑院宮家跡の敷地(北側)の風景。レンガ造りの建物も見えます。


聖アグネス教会 【京都市指定有形文化財】
 1898(明治31)年築。旧二条城(足利義昭がいた頃で、現在とは異なる)の敷地に建てられた平安女学院のチャペルとして完成。設計は立教学校(現在の立教大学)の初代校長ジェームズ・ガーディナー。京都御所とは全く関係ないですが、蛤御門を出ると向かい側に見えます。
 要するに、戦国時代に室町幕府最後の将軍である足利義昭は、御所のほぼ西隣に住んでいたわけです。