縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が広島城の東側に、1620(元和6)年から別邸の庭園として築成させたもの。作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇と言われています。園の名称の由来は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、特に中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられ、園の中央に濯纓池(たくえいち)を掘り、大小10余の島と、渓谷、橋、茶室、四阿(あずまや)を配置した回遊式庭園です。
1940(昭和15)年には浅野家から広島県に寄付され、国の名勝にも指定されたのですが、残念ながら原爆で壊滅状態に。また、ここには多くの被爆者が逃げてきたのですが、治療も受けられず亡くなっていきました。
そして終戦後、県教育委員会は、戦災前の景観に復すべく整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元し、広島市を代表する観光名所となっています。ちなみに縮景園の南側に広島県立美術館が併設されており、そこから縮景園を眺めることも出来ます。
(撮影:裏辺金好)
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