天赦園〜愛媛県宇和島市〜
宇和島市の日本庭園である天赦園(てんしゃえん)は、1672(寛文12)年に宇和島藩2代藩主の伊達宗利が、海を埋め立て造成した宇和島城浜御殿の南東部分を、7代藩主の伊達宗紀(むねただ)が隠居の場所として大改造を行って、1866(慶応2)年に竣工したものです。
庭園の名前は、あの伊達政宗が隠居した後に家臣たちに示した
「馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」
という詩からとりました。
ちなみに、伊達宗紀は宇和島藩の財政再建に成功させた人物で、さらに幕末において、この場所から宇和島藩の指示を次々と行い、賢公と称えられた8代藩主の伊達宗城の背後で、宇和島藩の真の実力者として活躍。薩摩藩の西郷隆盛や長州藩の大村益次郎とも、ここで会見を行っており、幕末維新の史跡の1つです。
(解説&撮影:裏辺金好)
○場所
○風景
白藤太鼓橋
春雨亭
伊達宗紀が余生を楽しみ、多くの書を書き遺した書院です。
潜渕館
伊達宗紀が茶道を楽しんだ場所。
伊達宗紀は自らを龍にたとえ、「その渕には龍が潜む館」という意味を込めて命名しました。