軽井沢タリアセン〜長野県軽井沢町〜


 軽井沢タリアセンは塩沢湖を中心に、軽井沢の近代建築などを移築活用した美術館・文学館や、レストランやショップ、遊戯施設を集めた巡らせたリゾート施設。元々は1961年、かつて水田が広がっていた場所に塩沢湖が整備され、本格的なスケートリンクが出来たのが始まりで、1971年に塩沢遊園が設立。年間を通じて楽しめるレジャー施設として整備が始まり、1983年に塩沢レイクランド、そして1996年に現在の名称である軽井沢タリアセンとなりました。
 タリアセンとは、ウェールズ語で直訳すると「輝ける額」という意味です。


(撮影&解説:裏辺金好)

○場所


○風景




旧・軽井沢郵便局(現・深沢紅子 野の花美術館) 【国登録有形文化財】
 1911(明治44)年築。旧軽井沢の銀座通りにあった軽井沢郵便局を移築したものです。
 1階はレストラン、2階は野の花を題材にした水彩や数々の挿絵の画家として名高く、旧軽井沢の堀辰雄山荘を夏のアトリエとして使用し活動していた、深沢紅子の美術館として公開されています。



睡鳩荘(旧・朝吹山荘)  1931(昭和6)年築。W.M.ヴォーリズの設計で、帝国生命や三越の社長をつとめた朝吹常吉と、その長女でフランス文学者である朝吹登水子の別荘として使われました。2008(平成20)年に移築オープンしています。写真2枚目が1階、3枚目が2階の様子です。



軽井沢・夏の家(ペイネ美術館)  1933(昭和8)年築。建築家アントニン・レーモンドが自身のアトリエ「軽井沢・夏の家」として設計したもの。1986(昭和61)年に移築されて、フランスの画家レイモン・ペイネ(1908〜99年)の美術館としてオープンしました。
 ペイネは、いつも寄り添う山高帽の男の子と愛らしい女の子でお馴染み「ペイネの恋人たち」で有名な画家で、ペイネもこの美術館を訪れています。


電話ボックス
大正末期、別荘の住民たちの要望で設置された公衆電話ボックス。


軽井沢高原文庫
1985(昭和60)年開館。軽井沢ゆかりの文学者たちの資料を展示しています。


有島武郎別荘「浄月庵」  大正初期に、作家・有島武郎の父親である有島武が建てたもの。その後、有島武郎の別荘となり、1923(大正12)年に彼は、中央公論社の『婦人公論』記者で人妻であった波多野秋子とこの別荘で心中しました。


野上弥生子書斎兼茶室  1933(昭和8)年築。小説家である野上弥生子(日本芸術員会員、文化勲章受賞)の書斎兼茶室として北軽井沢・法政大学村に建てられたもの。 ちなみに彼女は、夏目漱石の門下である野上豊一郎の妻としても知られています。


堀辰雄山荘(1412番山荘)
1941(昭和16)年に小説家の堀辰雄の夏の別荘として購入。から1944(昭和19)年まで使用されました。
その後、画家の深沢省三、深沢紅子夫妻が夏の別荘として使用しています。


イングリッシュローズ・ガーデン
約200種1800株のイングリッシュローズが咲き誇ります。

↑ PAGE TOP