香椎宮〜福岡県福岡市東区〜
香椎宮は社伝によると、200(仲哀天皇9)年に熊襲征伐の途中、橿日宮(かしひのみや/古事記では訶志比宮)で仲哀天皇が亡くなったため、神功皇后がこれを弔うために祠を建てたのを起源とし、723(養老23)年に神功皇后の神託によって朝廷が社殿の造営を始め、翌年(神亀元年)に竣工。この両宮を併せて香椎廟(または香椎宮)と呼ばれました。
文献上の初出は737(天平9)年の「続日本紀」で、古代より朝廷の崇敬が厚いものでした。京都の石清水八幡宮や東京の明治神宮、愛知の熱田神宮などと共に全国で16社しかない、勅祭社(朝廷から定期的に勅使の御差遣を仰ぐ神社)であり、明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称しています。また、本殿は香椎造と呼ばれる独特な様式です。
(撮影&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
楼門
西回廊・中門・東回廊
本殿 【国指定重要文化財】 1801(享和元)年に福岡藩第10代藩主の黒田長順により再建されたもの。香椎造と呼ばれる独特な建築様式は、ここだけでしか見られない貴重なもの。正面に千鳥破風(写真1枚目の三角形の部分です)、左右に翼状に張りだした切妻屋根を持ち、さらに車寄せを配するなど、とにかく写真2枚目の側面を見れば一目瞭然のとおり、千鳥破風などが複雑に組み合わさった形状です。
神木「綾杉」 言い伝えによると、神功皇后が三韓征伐から帰国した際に三種の宝を埋めて「永遠に本朝を鎮護すべし」との祈りを込めて植樹したもの。新古今和歌集に「千早振香椎の宮の綾杉は神のみそぎに立てるなりけり 」(よみ人知らず)と登場しており、大変由緒があるのは間違いありません。
戦艦「摂津」砲身 大正天皇の皇后である貞明皇后が、1922(大正11)年に香椎宮を参拝した際に御召し艦となった戦艦「摂津」。それを記念して「摂津」の12センチ砲が贈られ、現在は拝殿の前に置かれています。説明文には大正15年5月21日 佐世保鎮守府とあり、1923(大正12)年のワシントン海軍軍縮条約の影響によって「摂津」は標的艦として改装され、戦艦としての武装を解除していますので、この頃に置かれたのでしょうか。
戦後になって「官幣」の文字が消された石柱 (西鉄香椎宮前駅近くの参道にて)