瑠璃光寺・洞春寺・毛利家墓所 〜山口県山口市〜

○解説

 山口市を代表する景観である瑠璃光寺五重塔(上写真)。隣接して枕流亭や露山堂といった幕末に倒幕の密議として使われた建物や、毛利家墓所、洞春寺などの名所旧跡が並んでおり、見応えのあるエリアです。このページではこれらの見どころを紹介したいと思います。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○瑠璃光寺

 現在の瑠璃光寺は曹洞宗の寺院で、室町時代の守護大名である大内義弘が建立した香積寺を基礎とします。大内義弘は強大な力を持ったことから、室町幕府第3代将軍の足利義満と対立するようになり、挙兵。1339(応永6)年に堺で幕府軍と戦い戦死してしまいます。そこで、弟の大内盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営を開始しますが、九州の少貳勢と戦い戦死。その後、1442(嘉吉2)年に五重塔が完成しました。
 それから時は流れて、大内家は戦国時代に毛利元就によって滅亡し、関ヶ原の合戦の後に元就の孫である毛利輝元が萩を本拠地と定めると、香積寺を萩に引寺。この地には、仁保(※現・山口市仁保)から瑠璃光寺を移築し、五重塔も瑠璃光寺のものとして現在も見ることが出来ます。
瑠璃光寺五重塔
 【国宝】
1442(嘉吉2)年築。奈良の法隆寺五重塔、京都の醍醐寺五重塔にならぶ、日本三名塔の一つとされており、非常に美しい姿です。

瑠璃光寺本堂



枕流亭
元々は山口の旧家である安部家の離れで、当時は一の坂川の河畔にあったことから、この名前が付けられました。幕末には、江戸幕府に対抗する薩長連合結成のため、薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際に、この2階を使用して長州藩の桂小五郎(木戸孝允)、広沢真臣、品川弥二郎、伊藤俊輔(博文)と密議を行い、合意に至ったという、日本史のターニングポイントを形作った、重要な場所です。


露山堂

幕末に長州藩主の毛利敬親が、藩庁を萩から山口に移した際に藩庁内につくられた茶室。もっぱら倒幕の密議の場として使われ、明治維新後は荒廃していたものを、品川弥二郎が有志とともに買収し、この地へ移築して保存しました。

○毛利家墓所(香山墓所)


毛利家墓所

萩市の天樹院、大照院、東光寺とともに長州藩主の墓所であり、ここは明治維新時の藩主である13代毛利敬親などの墓が並んでいます。


毛利家墓所(うぐいす張の石畳)

あくまで偶然の環境のようですが、石畳を強く踏みつけたり手を打ったりすると、「キュ」という音が返ってくるとか。

○洞春寺

元々は1404(応永11)年、大内盛見が国清寺として建立。毛利氏が防長に移ってからは、毛利隆元の菩提寺となり、後に毛利元就の菩提寺となって洞春寺と称しました。
洞春寺山門 【国指定重要文化財】
国清寺創建当時の建築で、室町時代の四脚門として貴重な建物。


洞春寺観音堂 【国指定重要文化財】
1430(永享2)年築。


洞春寺本堂

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