大仙陵古墳〜大阪府堺市堺区〜
○解説
大仙陵古墳は堺市にある日本最大級の前方後円墳で、百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つ。宮内庁によって「百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)・仁徳天皇陵」として管理されていますが、本格的な調査は許可されておらず、詳細は不明です。ただし、過去に見つかった遺物等から、日本書紀による仁徳天皇、履中天皇の在位順とは異なり、履中天皇陵古墳とされている石津ヶ丘古墳よりも後の時代の築造と云われています。
墳丘は全長486mで、エジプトにあるクフ王のピラミッドや中国の秦の始皇帝陵よりも大きく、三重の濠に囲まれ、古墳の最大長は840m、幅は654mもあります。また、正面の拝所で二重濠の外側堰堤に近づけるほかは、三重濠の外側を一周するように整備された散策路から見ることしか出来ません。前方後円墳としての全体像を見るのは容易では無いのが現状です。なお、上写真は南東から西方向を見た姿です。
(写真&解説:裏辺金好)
○地図
○風景
大きさ比較。クフ王のピラミッドや始皇帝陵と比べてもこのとおり。
南東から北方向を見た姿。
北東から南方向を見た風景。湾曲しています。
収塚古墳
周辺には陪塚(ばいづか)と総称される小規模な古墳が約19基存在。計画的に造られたと考えられています。なお、必ずしも近親者や重臣の墓・・・というわけではなく、副葬品を種類別に分納してる例もあるようです。
さて、上写真の収塚古墳は直径35m、高さ4mの円墳状の形状をしています。かつては前方後円墳であったと考えられています。
塚廻古墳
直径32m、高さ5mの円墳。発掘調査成果から、南北主軸の帆立貝形古墳である可能性も指摘されています。