日野宿本陣〜東京都日野市〜
○解説
日野宿本陣は都内に残る唯一の本陣建築。甲州街道日野宿で名主を務めていた下佐藤家の当主、佐藤彦五郎俊正の住宅(本陣を兼ねる)として、1863(文久3)年に上棟し、翌年から住み始めたもの。下佐藤家は隣の上佐藤家と交代で名主を務めており、1716(正徳6)年には上佐藤家が日野宿の本陣、下佐藤家が脇本陣と定められていましたが、幕末には双方ともに本陣を名乗っていました。また、この建物は1849(嘉永2)年に日野を襲った大火によって焼失した主屋に変わって建てられたものです。
(なお、当時の上佐藤家と下佐藤家の間に敷地を区切る塀は無く、自由に行き来出来ていたそうです)
佐藤彦五郎は大火を前に自衛の必要性を感じ、天然理心流の近藤周助に師事し、4年後には免許皆伝。
敷地内に道場を開設し、妻・ノブの弟で、後に新選組副長となる土方歳三はもちろんのこと、近藤勇、沖田総司、井上源三郎(近所の出身)ら後の新撰組メンバーが出稽古に訪れていました。彼らは1863(文久3)年に幕府の浪士組募集に応じ、江戸を経て京へ向かったことから、ちょうど日野宿本陣の完成を目前に日野を去ったと思われます。
その後、1868(慶応4)年の鳥羽・伏見の戦いで新撰組は幕府方として参加して敗走(井上源三郎は戦死)。近藤勇らは甲陽鎮撫隊として甲府へ向かう途中、同年3月22日に日野宿本陣で休憩をとったと云われています。さらに、近藤勇の処刑など新撰組メンバーが各地を転戦する中で数を減らす中、1869(明治2)年に土方歳三が箱館で戦死するにあたって、市村鉄之助という若者に写真や遺品を託し、佐藤彦五郎に届けさせています。
なお、日野市では市指定有形文化財「日野宿本陣」としていますが、東京都では2010(平成22)年に東京都指定史跡「日野宿脇本陣」として指定しており、この建物を本陣とみるか、脇本陣とみるか見解の相違があるようです。
(撮影&解説:裏辺金好)
○地図
○風景
天然理心流佐藤道場跡の碑
現在の日野宿本陣前の駐車場にあった長屋門へ開設されたもので、大正15年の大火に遭うまでありました。長屋門の門通路部分のみは焼失を逃れ、最初の写真にある冠木門として再利用されています。
式台周辺
日野宿本陣は、1951(昭和26)年に隣地で材木業を営む宮崎家の所有となり、1980(昭和55)年からは宮崎家による蕎麦屋「日野館」として使用。「日野館」開店にあたって、2年に及ぶ大修理を行い保存に尽力されています。そして、2004(平成16)年の大河ドラマ「新選組!」に併せて日野市による一般公開が行われることにより、移転しています。
ちなみに冒頭の佐藤道場の碑は、「日野館」開店に合わせて佐藤家が宮崎家に依頼して建立したもの。碑文末尾には土方歳三直系、土方家当主 土方康と刻まれており、三家の篤い交流が伺えます。
建築当時はこの先に明治天皇も御休息された上等な部屋である「上段の間」と続きの一間がありましたが、1893(明治26)年の大火で、佐藤俊正(彦五郎)の四男、彦吉が養子となり家督を継いでいた有山家が被災したことから、同家へ移築されています。現在も残っていますが、非公開。
向かい側が日野宿の問屋場跡・高札跡。現在は日野図書館となっていますが、外観は趣があるように修景されています。
周辺には土蔵造りの建物が数多く残されています。