吉見百穴〜埼玉県吉見町〜


○解説

 吉見百穴(よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ)は、古墳時代後期の横穴墓群で、国の史跡に指定。凝灰岩の岩山の斜面に穴が開けられており、独特な景観を形成しています。
 日本における人類学の草分け的存在である坪井正五郎が、当時は東京大学の大学生だった1887(明治20)年に発掘を行ったもので、小人であるコロボックルの住居で、後に墓としても使われたと発表。しかし、当初から小人住居説には反対意見があり、考古学の発達により集合墳墓という説が定説となりました。

 なお、太平洋戦争中に中島飛行機の地下軍需工場を建設するため、この地に碁盤の目状に坑道が掘られた際、吉見百穴にも3箇所の坑口が掘られ、遺構の一部が破壊されてしまいました。これは、朝鮮からの労働者によって素掘りで掘られたものです。また、吉見百穴の最低部の穴ではヒカリゴケが見られ、国の天然記念物に指定されています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○地図





玄室の形はご覧のとおり様々。








地下軍需工場の跡地を見ることも出来ます。貴重な遺構に何ということを・・・。


夏でも涼しいことから「埼玉県クールスポット100選」に選ばれているとか。



こちらはヒカリゴケ

埋蔵文化財センターが併設されており、吉見町の遺跡で発見された出土品が見られます。

古墳時代、4世紀の三ノ耕地遺跡からは木製の農具が良い保存状態で発見されており、非常に貴重。現在とあまり大きな形の違いはないですね。

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