金刀比羅宮〜香川県仲多度郡琴平町〜
○解説
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、象頭山中腹に鎮座し、「こんぴらさん」の愛称で親しまれ、海上交通の守り神として古来から信仰を集めています。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもあり、多くの参拝客で賑わう日本を代表する神社の1つです。その起源は諸説ありますが、公式サイトによると大物主神を祀った琴平神社を起源とし、中世に神仏習合で金毘羅大権現と改称。1868(明治元)年に神仏分離・廃仏毀釈が実施されたことにより、金刀比羅宮に戻ったとしています。なお、これに伴い元々この場所にあった真言宗の象頭山松尾寺が廃寺に追い込まれています。参拝の際には歩きやすい格好が必須!なんと、本宮までは785段、奥社まで1368段もの石段を登らないといけません。このページでは周辺の文化財を含めて、奥社までご案内しましょう。
(撮影&解説:裏辺金好)
○地図
○風景
JR琴平駅 【国登録有形文化財】
琴平の玄関口。1936(昭和11)年に建築された洋風駅舎です。
賑わう門前町
旧金毘羅大芝居(金丸座) 【国指定重要文化財】
1835(天保6)年に棟上げを行い、翌年に完成した現存で日本最古の芝居小屋。
琴平町公会堂 【国登録有形文化財】
1932(昭和7)年築。
参道
備前焼狛犬 【重要有形民俗文化財】
参道
灯明堂 【重要有形民俗文化財】
1853(安政5)年、備後国因之島浦々講中の寄進により、船の下梁を利用して建築したもの。<石段168段>
金比羅本教総本部
1877(明治10)年築。<石段351段>
鼓楼
1710(宝永7)年築。朝夕時刻を知らせる時太鼓を備えています。
大門
徳川光圀の兄で、讃岐高松藩初代藩主の松平頼重候が寄進したもの。「琴平山」の額は、有栖川宮熾仁親王殿下の御筆によるもの。<石段365段>
讃岐平野の眺望
桜馬場 <石段365段 〜 431段>
桜馬場西詰銅鳥居
社務所門
書院の勝手口ですが、社務所が書院に付属していた頃の名残で社務所門と呼ばれます。
表書院・奥書院 【国指定重要文化財】
表書院は1654(承応3)年〜1660(万治3)年の建築。奥書院は1717(享保2)年築。円山応挙、伊藤若冲、岸岱らによる障壁画があります。
神椿
正確にはこの広場の下にある施設のこと。何と、資生堂パーラー カフェ&レストラン「神椿」があります。神社で洋食・・・。<石段500段>
四脚門
1654(承応3)年〜1660(万治3)年の建築。書院の正門で、かつては皇族・幣帛供進使が参向する場合に使われました。<石段512段>
祓戸社 <石段595段>
旭社
1873(天保8)年築。高さ約18m、下重が方五間、屋根は銅板葺の総齣「二重入母屋造です。金刀比羅宮の旧神宮寺の金堂として建立されたもので、明治時代に仏壇を廃して神座となっています。<石段628段>
御本宮
1878(明治11)年に改築されたもの。<石段785段>
神楽殿
御本宮と御神木
高さ25mのクスノキです。
三穂津姫社
明治9年築。御本宮に向かって左手にあります。
絵馬殿
常磐神社
ここからは、奥社(厳魂神社)へ向かいます。まだまだ先は長い!!<石段832段>
白峰神社
1911(明治43)年から1913(大正2)年にかけて建築。崇徳天皇を御祭神とします。<石段923段>
菅原神社
讃岐守を務めたこともある菅原道真命を御祭神とします。<石段974段>
奥社 (厳魂神社)
元は絵馬殿の付近にあったものを、1905(明治38)年に遷座。<石段1368段>
讃岐富士や瀬戸内海を一望できます。