鴻巣宿〜埼玉県鴻巣市〜
○解説
鴻巣宿(こうのすしゅく)は、中山道六十九次の日本橋から数えて7番目の宿場町で、桶川宿(埼玉県桶川市)と熊谷宿(埼玉県熊谷市)の間に位置します(※鴻巣宿と熊谷宿の間には、間の宿であり日光裏街道との交差点でもある吹上宿も存在)。明確な理由は不明ながら、1602(慶長7)年に本宿(埼玉県北本市)から移転されて設置されたもので、1834(天保14)年には2274人、戸数556(うち本陣1軒、脇本陣2軒)の規模であったと云われています。往時を偲ばせる建物はあまりありませんが、上写真の田沼家の蔵は明治期に建てられたものながら、宿場町の面影を今に伝えています。
ちなみに1601(慶長6)年頃には徳川家康が鷹狩時の休憩施設を名目とした鴻巣御殿を建てさせ、徳川秀忠、徳川家光の3代が使用しました。跡地には東照宮が建てられましたが、現在は実にささやかな状態です。
また、江戸時代に開発が進み、鴻巣宿の加宿となった上谷新田(現:鴻巣市人形)では江戸時代中期から雛人形の製作が盛んになり、特に明治になると益々盛んになり、現在に至るまで鴻巣を代表する産業となっています。
(撮影&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
鴻神社
1873(明治6)年、鴻巣宿の中心にあった氷川神社、熊野神社、竹ノ森雷電神社を合祀したもの。
法要寺
慶安年間(1648〜51年)、鴻巣宿の勝願寺を利用しようとした加賀藩前田家は、なんと宿泊を断られてしまいました。そこで、この法要寺が宿舎としての提供を申し出たことから、お礼に加賀前田家の梅鉢紋の使用が許されています。江戸期の建物はありませんが、狛犬は昔からのもの。
鴻巣宿本陣跡
鴻巣宿の風景
東照宮
鴻巣御殿の面影を今に・・・と書きたいところですが、「えっ?」という状態。奥まった場所にあり、見つけるのも苦労しました。