佐渡奉行所跡〜新潟県佐渡市相川〜
○解説
関ヶ原の戦いののち、佐渡は上杉家から江戸幕府の直轄領となり、1601(慶長6)年に佐渡代官が設置されました(1618年以降は佐渡奉行)。現在みられる佐渡奉行所跡は、1603(慶長8)年に佐渡市相川に建てられたもの。金銀山の管理と行政を行う「御役所」と、その後ろに奉行の住居「御陣屋」があったほか、敷地内には金や銀を選鉱する工場「勝場(せりば)」もありました。建物は焼失と再建を5回繰り返したのち、明治以降は役所や学校として改修されて使われました。しかし、1942(昭和17)年に全焼。1994(平成6)年に国の史跡に指定され、2000(平成12)年に御役所部分が復元されました。
(撮影&解説:リン)
○場所
○風景
まずは奉行所とその周辺の復元模型。
続いて外観。
御玄関
こちらは御白州の外側。内部の写真はあとで紹介しますが、佐渡奉行所の御白州は、日本海側からの風が吹き荒れることもあって、室内に設けられています。
御陣屋跡
平面復元のみですが、御役所の後ろにあって奉行が住んでいた場所です。
上之間
ここと写真手前の大広間は一番高い格式の部屋で、柱や天井が漆塗りとなっていました。釘隠しは金色に塗られていますが、これは想像復元。
御白州
勝場(せりば)を復元したガイダンス施設