関宿の古い町並み〜三重県亀山市〜
関宿は鈴鹿山脈の山裾に位置する東海道五十三次の47番目の宿場で、愛発関(越前国)・不破関(美濃国)とともに古代の「日本三関」の1つ、「鈴鹿関」が置かれた場所で、地名はこれに由来します。大友皇子と叔父の大海人皇子(のち天武天皇)が皇位を争った672年の壬申の乱では、大海人皇子が鈴鹿・不破関を固めたことで知られています。なお、関所は789(延暦8)年に廃止されますが。その後も儀式的に固関されることがありました。
さて、宿場町としての関宿は徳川家康による宿駅制度によって本格的に整備されたもので、東の追分で伊勢別街道、西の追分で大和街道と分岐することから、参勤交代や多くの旅人たちで賑わいました。
東海道の旧宿場町は、その大半が往時の面影をとどめていない中、関宿は今も旧態をよく留めており、1984(昭和59)年に国の「重要伝統的建造物保存地区」に選定されています。
(撮影&解説:裏辺金好)
○地図
○風景
それでは、関宿の江戸方向から京方向に向けて歩いてみましょう。京方面は、鈴鹿山系の山並みが見えます。
御馳走場
関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり、見送ったりした場所。関宿には4か所ありました。
百五銀行
街並みに配慮した店舗。
延命寺山門 【亀山市指定文化財】
旧川北本陣の門を移築したもの。
鶴屋
玉屋、会津屋とともに関を代表する旅籠で、江戸時代末には脇本陣も務めています。千鳥破風が家の格式の高さを示しています。
川北本陣跡
伊藤本陣跡(松井家)
川北本陣と並ぶ、2軒あった本陣の跡。現在残る街道に面した部分は、家族の居住と大名宿泊時の道具置き場に供した建物。
橋爪家
江戸時代初期から両替商を務め、江戸にも店舗を持っていた豪商。2階建てなのは明治期の改造。
玉屋
現在は関宿旅籠玉屋歴史資料館として使われています。
高札場
幕府の法度や掟書、宿場の決まり事などを掲示した場所。明治10年に撤去されましたが、2004(平成16)年に復元されました。
福蔵寺
裏門は萩屋脇本陣から移築したもの。写真を撮り忘れましたが・・・。
地蔵院
古くから関の地蔵と呼ばれて信仰されてきた地蔵院。741(天平13)年に行基によって創建されたという伝承もあります(地蔵院略縁起/1695年)、関宿のシンボル的存在です。
地蔵院本堂 【国指定重要文化財】
1700(元禄13)年築。
地蔵院愛染堂 【国指定重要文化財】
1630(寛永7)年築。
地蔵院鐘楼 【国指定重要文化財】
1644(寛永21)年築。
会津屋