航空科学博物館〜千葉県山武郡芝山町〜
航空科学博物館は1989(平成元)年、成田国際空港を臨む場所に開設された航空専門の博物館。
YS−11試作1号機やボーイング747−200(機体番号:N642NW)機種部分(セクション41)などの実物機体が多数保存展示されているほか、空港管制機材、成田空港模型などが展示されています。
また、隣接地には2011(平成23)年6月23日に成田空港 空と大地の歴史館が開館。成田空港問題(三里塚闘争)について、空港建設前の様子から闘争、共生といった歴史を後世に伝える展示を行っています。
(撮影&解説:裏辺金好)
○地図
○風景
ボーイング747−200
2011(平成23)年8月から展示されているボーイング747の機種部(通称:セクション41)。この機体は飛行機の墓場とも呼ばれるアメリカのマラナ砂漠にいた、元ノースウエスト航空のボーイング747の機種部を切断し、いったんバラバラにしてここまで運んできたもの。
YS−11試作1号機
セスナ195
朝日新聞社の「朝風」として、取材や連絡で活躍したセスナ機。
三菱 MU−2
1960年代に三菱重工業が製造したターボプロップビジネス機。展示機は三菱重工業の社有機です。
富士/ロックウェル FA−300
1970年代に富士重工とアメリカのロックウェル・インターナショナル社が共同で開発したプロペラビジネス機。展示機は試作1号機。
シコルスキーS−62
1960年代にシコルスキー社が製造した単発、1軸ローター式のヘリコプター。展示機は三菱重工業がノックダウン生産したもので、海上保安庁で捜索、救難に活躍。
アエロスパシアル SA330ピューマ
1965(昭和40)年から、フランスのアエロスパシアル社が製作した21人乗りヘリコプターです。この機は東京消防庁の消防ヘリ「ゆりかもめ」として活躍しました。
ムーニー M20
1955(昭和30)年からアメリカのムーニー社が1万機以上も製造した4人乗りの軽飛行機。展示機は個人使用の機体です。
リアジェット 25B
1952(昭和27)年にスイスで開発が開始され、1963(昭和38)年からアメリカのリアジェット社で2000機が製造されたビジネス機。展示機はアメリカ企業の社有機でした。
Ka-26
ソビエト連邦のカモフ設計局が開発したヘリコプターで、1968(昭和43)年から1979(昭和54)年まで生産。展示機は個人所有だったもの。
ビーチ ターボバロン
1967(昭和42)年からアメリカのピーチ社が製造した6人乗りビジネス機。展示機は毎日新聞が取材等で使用した「明星号」です。
ビーチ ボナンザ
1960年代に、アメリカのビーチクラフト社が製作しプロペラ機。展示機は、宮崎県の航空大学校にて学生の操縦訓練機として使われました。
セスナ411
アメリカのセスナ社が1962(昭和37)年から製造した8人乗りビジネス機。展示機は中日新聞の「おおたか号」として取材などで活躍。
セスナ421
1965(昭和40)年からアメリカのセスナ社が製造した10人乗りビジネス機。展示機は、毎日新聞が取材等で使用した「金星U号」です。
セスナ172 スカイホーク
1956(昭和31)年からアメリカのセスナ社が製造した4人乗り軽飛行機。展示機は、舘林の大西飛行場にて、大洋航空が操縦訓練、空中からの放送飛行、写真撮影などに使用。のち、竜ケ崎飛行場にて新中央航空の機体として活躍。
ロビンソン R−22 ヘリ
1975(昭和50)年からアメリカのロビンソン社が製造した2人乗りヘリコプター。展示機は、本田航空で操縦訓練用に使用。
富士 FA-200 エアロスバル
1965(昭和40)年に初飛行し、1986(昭和61)年までに299機が製造された富士重工業の軽飛行機。
エアロコマンダー680
1960年代にアメリカのエアロコマンダー社で製造されたプロペラ機。展示機は、アジア航測で航空測量の写真撮影などで活躍。
ヒューズ 369
アメリカのヒューズ・ヘリコプターズ社が、1965(昭和40)年に開発した単発タービンヘリコプター。展示機は川崎重工業がライセンス生産したもの。
○屋内展示
アンリファルマン複葉機(実物大模型)
ボーイング747 胴体断面の展示
屋内にもボーイング747の輪切りがありました。先ほどのボーイング747セクション41を補完する展示とのこと。
DC-8(外側)とYS-11(内側)の胴体断面
ボーイング747コックピット
日本航空が操縦訓練用に使用したもの。
映画「ハッピーフライト」撮影セット
キャビンモックアップ
ボーイング747-400 大型模型
ヒューズ 369
アメリカのヒューズ・ヘリコプターズ社が、1965(昭和40)年に開発した単発タービンヘリコプター。展示機は川崎重工業がライセンス生産したもの。
成田空港模型
空港管制機材