日坂宿〜静岡県掛川市〜
日坂宿(にっさかしゅく)は、東海道五十三次の25番目の宿場。東海道三大難所(峠)の一つ、小夜の中山の西麓に位置しています。
1843(天保14)年の記録では、本陣1軒、旅籠屋33軒等、168軒の家があり、750人がいたと云われ、小さな宿場町でした。明治以降、現在のJR東海道本線が小夜の中山を迂回して建設されたため、日坂宿は衰退しますが、東海道では珍しく、現在でも当時の面影を残す古建築や、復元された高札場があり風情があります。
(撮影:裏辺金好)
○場所
○風景
高札場跡
川坂屋
日坂宿の旅籠屋。1870(明治3)年まで旅籠屋として営業し、その後も要人には宿を提供していたと云われます。なお、1805(文化2)年に掛川城主太田資順が、掛川市内の偕楽園に建てた茶室(のち掛川城内へ移築)が1868(明治元)年に川坂屋に譲られ、現存しています。
萬屋
もっぱら庶民が宿泊した旅籠。嘉永年間から安政年間にかけての建築と推定されています。
藤文
日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七の自宅。
藤文蔵
かつては何棟かあった土蔵のうち、1棟が現存。1871(明治4)年に郵便制度が発足した際には、日本最初の郵便局の1つとなりました。
本陣跡
屋号は「扇屋」で、片岡家が世襲で営んでいました。御覧のとおり広い敷地を持っていました。