旧岩谷堂共立病院/旧後藤家住宅〜岩手県奥州市〜
旧・岩谷堂共立病院は、1874(明治7)年に建てられた疑洋風建築で、地元の大工棟梁である及川東助が手がけました。
翌年1月に岩手県初(当時は水沢県)の西洋医学における総合病院として開院し、江戸で蘭学を学んだ横田信行(旧白河藩士)を院長として迎えました。しかし、経営は上手くいかず、岩手県に県の公立病院として申請しますが認められず、1878(明治11)年に僅か約3年で閉院。磐井治安裁判所岩谷堂支所及び登記所、岩谷堂尋常小学校(仮校舎)を経て、明治後期からは岩谷堂町役場、江刺町役場、そして1971(昭和36)年まで江刺市役所として使用されました。
1979(昭和54)に岩手県有形文化財となり、失われていた最上階の塔屋を復元するなど修築工事を行った後、明治記念館として一般公開されています。
近くにある旧・後藤家住宅(国指定重要文化財)も併せてご紹介します。
(撮影・解説:裏辺金好&リン)
○地図
○風景
1階の様子。4階の軒桁まで達する、4本の通し柱が特徴。写真右側少し上が玄関。
同じく1階の様子
玄関周辺(2階より)
2階
3階
4階
この上に塔屋があります。
建物背面
旧江刺市のマンホール
この旧岩谷堂共立病院がデザインされています。
旧・後藤家住宅 【国指定重要文化財】
元禄年間(1688〜1703)の建築と推定。伊達藩の直屋として典型的な民家で、建物の半分を土間が占め、土間部の柱が二重に建っているのが特徴です。