羽黒山五重塔ほか出羽三山の文化財〜山形県鶴岡市・西川町〜
出羽三山は羽黒山(標高414m)、月山(標高1984m)、湯殿山(標高1500m)の総称で、出羽国を東西に分ける出羽丘陵の主要部を占めています。
日本古来の自然崇拝の山岳信仰に加え、仏教・道教・儒教などが習合に成立した「修験道」の場として古くから知られています。また、三山それぞれの山頂に神社があり、これらを総称して出羽三山神社とも云います。
江戸時代は三山にそれぞれ別当寺が建てられ、羽黒山出羽神社と月山神社に天台宗の寺院が、湯殿山神社に真言宗の寺院が建てられ、神仏習合が進みますが、明治時代になると廃仏毀釈によって羽黒山を中心に別当寺が破却または独立が進んだほか、月山神社の別当寺であった長耀山日月寺(天台宗)は岩根沢三山神社となりました。
ここでは平将門が創建し、1372(応永5)年に再建されたと伝わる国宝、羽黒山五重塔(上写真)などの文化財を御紹介します。
(撮影:リン/解説:裏辺金好)
○地図
○風景
月山神社出羽神社湯殿山神社摂社 月山出羽湯殿山三神社社殿 (旧・日月寺本堂) 【国指定重要文化財/日本遺産】
1841(天保12)年築(正面の向拝は1858(=安政5)年完成)。元々は月山及び湯殿山への東南に位置し,登拝口の修験集落のひとつであった岩根沢に1387(嘉慶元)年に創建された、日月寺の本堂。仏堂から客殿,座敷,庫裏などの機能を一つにした類例の少ない構成の複合建築なのが特徴です。
神仏分離令の際、伽藍は内装を少し改めた程度で、月山出羽湯殿山三神社に移行したことから旧態を良く残し、修験道文化を把握する上で貴重な遺構となっています。
湯殿山神社(旧・本道寺) 【日本遺産】
1890(明治22)年築。江戸時代は東北一の伽藍を誇った本道寺だった場所で、徳川将軍家の祈願所の1つ。1868(明治元)年に新政府軍の攻撃で大伽藍が焼き払われ、神仏分離令に伴い湯殿山神社となりました。
湯殿山神社 仏足石
所々破損が見られますが、廃仏毀釈の際に破損させられたとのこと。
大日坊 仁王門 【山形県指定有形文化財/日本遺産】
室町時代以前の建築と推定。大日坊は出羽三山参道のうち大網口に位置し、神仏分離令の際に仏教寺院として独立。飛鳥時代に造られた銅造如来立像(国指定重要文化財)があります。
羽黒山 随神門 【日本遺産】
羽黒山の入り口で、2,446段の石段がここから始まります。明治時代の神仏分離令の前は、仁王門と呼ばれていました。
羽黒山の爺スギ 【国天然記念物/日本遺産】
樹齢1,000年以上と云われ、根周り10.5m 、幹囲 8.25mです。
羽黒山五重塔 【国宝/日本遺産】
このほか、羽黒山正善院黄金堂が1596(文禄5)年築、羽黒山三神合祭殿が1818(文政元)年築、羽黒山鐘楼が1618(元和4)年築で、いずれも国の重要文化財に指定されています。