旧東海道 保土ヶ谷宿〜神奈川県横浜市保土ケ谷区〜
保土ヶ谷宿は程ヶ谷宿とも表記され、江戸から33km(8里9丁)に位置し、品川、川崎、神奈川に続く東海道4番目の宿場。保土ヶ谷町・岩間町・神戸(ごうど)町・帷子(かたびら)町の四つの町から構成され、現在の相鉄天王町駅のあたりで帷子川を渡り、横須賀線の保土ヶ谷駅近くまで広がっています。旧東海道の最初の難所である権太坂を手前にしていました。
ちなみに1601(慶長6)年に定められた保土ヶ谷宿ですが、1648(慶安元)年に道筋が変更され現在地へ移転しました。
(撮影:裏辺金好)
○地図
○風景
東海道五拾三次之内 保土ヶ谷「新町橋」 初代広重 (制作:1833年/天保4年頃)
帷子川と帷子橋(新町橋)を手前に、奥に保土ヶ谷宿の町並みが広がります。帷子川が昭和の改修で流れを変えているため、現在これと同じ風景を見ることはできませんが、保土ヶ谷宿の町並みは商店街として今もにぎわっています。
保土ヶ谷駅前に設置されている案内図
旧中橋跡
助郷会所跡
宿場でまかないきれない人馬を周辺の助郷村から動員するための手続きをした場所。
問屋場跡
荷物を運ぶ人や馬の手配を行った場所。
高札場跡
幕府の法令を書いた高札が掲げられた場所。
金沢横丁(横町)
金沢横町道標4基 【横浜市指定民俗文化財】
ここは旧東海道の東側で、金沢・浦賀往還への出入口にあたり、通称「金沢横町」と呼ばれました。 金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、 道標として四基が建立。右からそれぞれ、
1.円海山之道〔天明三年(一七八三)建立〕/左面に「かなさわかまくらへ通りぬけ」と刻む
2.かなさわ、かまくら道〔天和二年(一六八二)建立〕/左面に「ぐめうし道」と刻む
3.杉田道〔文化十一年(一八一四)建立〕
4.富岡山芋大明神社の道〔弘化二年(一八四五)建立〕です。
本陣跡
東海道線・横須賀線の踏切を渡り、西へ曲がると本陣跡。後北条氏の家臣である苅部豊前守康則を祖とする苅部氏が、保土ヶ谷宿の本陣・名主・問屋の三役を1870(明治3)年に本陣が廃止されるまで代々務めてきました。現在は通用門が残っています。
脇本陣(藤屋)跡
脇本陣(水屋)跡
脇本陣(大金子屋)跡