豊川稲荷(妙厳寺)〜愛知県豊川市〜


 豊川稲荷は正式には「円福山 豊川閣 妙厳寺(みょうごんじ)」と称する曹洞宗の寺院で、本尊は千手観音。
 1441(嘉吉元)年に曹洞宗法王派の東海義易によって創建され、室町時代末期に駿河の戦国大名である今川義元によって伽藍が整備されます。その後、徳川家康が庇護したほか、江戸時代には商売繁盛や家内安全、開運の善神として、庶民はもちろん、渡辺崋山などの文人、さらには大岡越前でお馴染みの大岡忠相の信仰を受け、1828(文政11)年には江戸の大岡邸の一角に江戸参拝所が創建されます(現在の豊川稲荷東京別院)。
 1871(明治4)年には神仏分離令と廃仏毀釈の動きによって豊川稲荷も鳥居が撤去されるなどの被害を受けますが伽藍を守り抜き、現在では日本三大稲荷の一つに数えられて高い人気を誇っています。
 ちなみに稲荷と呼ばれますが狐を祀った神社ではなく、鎮守である豐川?枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)が稲穂を荷い、白い狐に跨っていることから、いつしか豊川稲荷が通称として広まったと云われます。
(撮影:裏辺金好)

〇地図


○風景


総門
1894(明治17)年築。門扉及び両袖の扉は厚さ15cmの欅の一枚板を使用。




鎭守堂
元々は神楽殿であったものを、1930(昭和5)年の本殿の落慶開帳に合わせて修築したもの。


鐘楼堂
1937(昭和12)年築。豊川稲荷大本殿の落慶(完成)を祈念して、浜松市太々講が寄進したもので総欅材造り。


山門
1536(天文5)年築。駿河の戦国大名、今川義元が寄進したもので、豊川稲荷で現存最古の建築かつ唯一の丸瓦葺造りの屋根が特徴。左右に阿吽の仁王像を収めていますが、これは1966(昭和41)年に篤信者が寄進したもの。


最祥殿
1929(昭和4)年築。間口13間(約23.6m)、奥行26間(約47.27m)という大きな建築で、約1000人の信者の接待が出来る大座敷を有しています。


豊楽殿
1842(文政7)年築。元々は本殿の祈祷殿(般若殿)であったものですが、大本殿の新築により移築されたもの。

大本殿
1930(昭和5)年築。総欅造、妻入二重屋根三方向拝の形をとり、間口は10間7分5厘(約19.35m)、奥行き21間4分3厘(38.59m)。内部は内陣、般若殿、施主殿に区画されています。また、明治時代に有栖川宮家から「豊川閣」の大額が下賜され、大本殿内部に掲揚されています。


万堂
1863(文久3)年築。万燈堂(禅堂)ともいいます。


弘法堂
1930(昭和5)年築。


景雲門
1858(安政5)年築。奥の院参道の中間にあり、元々は奥の院拝殿だったものを1930(昭和5)年の大本殿新築に関連して、旧本殿が奥の院として移築されたことから現在地へ移転し、門に改宗されました。彫刻は名匠である諏訪ノ和四郎の作。

奥の院
1814(文化11)年築。1930(昭和5)年の大本殿新築に関連して、旧本殿を移築したもの。彫刻は名匠である諏訪ノ和四郎の作。




霊狐塚
祈願成就の御礼として信者が奉納した、大小およそ1000体に及ぶ狐の像が奉納されています。

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