高徳院(鎌倉大仏)〜神奈川県鎌倉市〜


 高徳院は東大寺(奈良)の大仏と並んで有名な、国宝の阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)を本尊とする浄土宗の寺。鎌倉大仏は像高約11.3m、重量約121tで、その創建には不明な点もありますが、1252(建長4)年8月17日に鋳造を開始した金銅の「八丈釈迦如来像」(『吾妻鏡』)と云われ、1264(文永元)年8月在銘の金峰山寺蔵王堂鐘銘に「新大仏鋳物師丹治久友」とあることから、遅くともこれ以前には完成していたと考えられます。
 現在は屋外に露出している大仏ですが、当初は大仏殿の中にありました。しかし大仏殿は、1305(嘉元3)年頃に倒壊し、再建が図られるも1334(建武元)年(1334)に大風で倒壊(『太平記』)、1369(応安2)年にも大風で倒壊したと云われ(『鎌倉大日記』)、1386(文明18)年に大仏を訪れた万里集九が、堂宇はなくて露坐であったと記している(『梅花無尽蔵』)ことから、600年以上この状態であると思われます。
 大仏は南北朝期頃から江戸前期にかけて建長寺の管理下に置かれますが荒廃が進み、江戸時代の正徳年間(1711〜16年)に江戸・増上寺の祐天上人が、浅草の商人・野島新左衛門(泰祐) の喜捨を得て修復。これ以後、浄土宗に属し、「清浄泉寺高徳院」と称する念仏専修の寺院として光明寺(鎌倉市)の「奥之院」に位置づけました。ちなみに高徳院は新左衛門の法名から付けられたものです。
(撮影:裏辺金好)

〇地図



○風景




金メッキの跡
創建当初、大仏像の表面は塗金で覆われていたと云われ、頬の部分にその痕跡が残ります。


阿弥陀如来の印相(いんそう=手の形、組み方)は、親指と小指を除く三指のいずれかを合わせ、両手に輪をつくる点が特徴です。


背面


胎内
大仏の胎内(内部)も参拝が可能です。

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