志度寺〜香川県さぬき市〜
さぬき市志度の志度寺(しどじ)は真言宗善通寺派の寺院で、山号は補陀洛山。四国八十八箇所霊場の第八十六番札所です。
寺伝によると626年(推古天皇33年)、海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音像を彫り、精舎を建てたのが始まりと云われます。さらに681年(天武天皇10)年に藤原不比等が妻の墓を建立し「死度道場」と名づけたほか、693年(持統天皇7年)に藤原不比等の子である藤原房前が行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。
室町時代には四国管領の細川氏が寄進し繁栄しますが、戦国時代に戦乱により寺院は荒廃。安土桃山時代に入ると、豊臣秀吉の重臣である生駒親正が支援を行い、1671(寛文10)年には高松藩主の松平頼重の寄進により本堂や仁王門が再建されました。
(撮影:裏辺金好)
〇地図
○風景
仁王門 【国宝】
1670(寛文10)年頃築。高松藩松平家の寄進で、三間一戸の八脚門。
五重塔
1975(昭和50)年築。高さは33mです。
本堂 【国指定重要文化財】
1670(寛文10)年頃築。高松藩松平家の寄進で、桁行七間、梁間五間の大規模な仏堂。
本堂と大師堂
閻魔堂 【香川県指定有形文化財】
1671(寛文11)年頃築。
奪衣婆堂 【香川県指定有形文化財】
江戸時代中期築。
平賀源内墓(自性院内)
志度寺の塔頭である微雲窟自性院常楽寺に建立されている、平賀源内の墓。