弘明寺〜神奈川県横浜市南区〜


 弘明寺(ぐみょうじ)は高野山真言宗の寺院で、寺伝では737(天平9)年に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられる、横浜市内でも最古の寺院です。
 1044(寛徳元)年に光慧上人により瓦葺き本堂が建立され、本尊である十一面観世音菩薩立像(国指定重要文化財)の制作推定時期と概ね同じであることから、実際にはこの頃に開基されたと考えられています。
 また、鎌倉時代には「求明寺」と表記していましたが、観音経偈文(かんのんぎょうげもん)の中の「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」の「弘」の字をとり、「求」を改めて現在の「弘明寺」表記になっています。
 明治時代に入ると廃仏毀釈の動きで弘明寺も弾圧を受け、寺伝、寺宝の数々が失われ、明治中期には無住職となったこともあるほか、北側が弘明寺公園や、湘南電気鉄道(現・京浜急行電鉄)弘明寺駅になるなど、広い敷地の大半が失われますが、創建当時の古材も残る本堂など、往時の雰囲気を今に伝えています。
(撮影:裏辺金好)

〇地図



○風景


本堂
1766(明和3)年、智光上人により再築。光慧上人が建立した時の古材である、チョーナ彫の床板などが使用されています。1976(昭和51)年に茅葺から銅板葺へ改修されました。


仁王門
江戸時代に再建。「瑞應山」の扁額は江戸幕府に仕えた書家、佐々木玄竜の書です。



金剛力士像 【横浜市指定有形文化財】
13世紀後半、早期運慶様を尊守する鎌倉仏師の作。


楓関門(ふうかんもん)
元々は1411(応永18)年築。1908(明治41)年に修築されたのち、関東大震災で倒壊したため、1929(昭和4)年に再築されました。2004(平成16)年にも修築されています。


鐘楼堂 【横浜市指定有形文化財】
1798(寛政10)年、阿闍梨(あじゃり)秀光が願主となり再々造したもの。


七ツ石
善無畏(ぜんむい)三蔵法師が渡来の際、当山の霊域を感得し、陀羅尼(だらに)を書写して結界を立てた霊石。

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