興福寺、眼鏡橋&長崎銀行本店〜長崎県長崎市〜
  Kofuku-ji (Buddhism temple) and Megane Bridge in Nagasaki City , Nagasaki Prefecture


 東明山興福寺は、日本初の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院。元々は1620(元和9)年に長崎と中国(明)を行き来する明の商人が航海安全を祈願して建てた小庵が起源と言われます。そして1654(承応3)年に、中国の高僧であった隠元禅師が長崎へ渡来し、興福寺住職として滞在。ここで、日本における黄檗宗の開祖となりました。

 現在、境内に残る建物の殆どは古建築で、その中心となる大雄宝殿は国指定重要文化財。黄檗宗は禅宗の一派なのですが、日本に合った形に姿を変えた臨済宗や曹洞宗と異なり、明の時代の様式を今に伝えているため、中国風のエキゾチックな建築群が見所です。

 また、近くにある日本最古の石橋である眼鏡橋を架設したのは、興福寺の第2代默子如定(もくすにょじょう)禅師。さらに眼鏡橋の近くにある近代建築、長崎銀行本店の3つをご紹介したいと思います。
(解説&撮影:裏辺金好)  

▼MAP

▼アクセス
長崎電気軌道公会堂前電停より徒歩

▼関連サイト
東明山興福寺公式サイト



山門 【長崎県有形文化財】
1690(元禄3)年築。初代の門が長崎大火で焼失したために再建したもので、
和風様式を基調にしながら赤色に塗られているのが特徴。


大雄宝殿 【国指定重要文化財】
1883(明治16)年築。本堂を大雄宝殿と呼ぶのは釈迦(大雄)を本尊として祀ることに由来します。


大雄宝殿 【国指定重要文化財】
外観は中国風。丸い窓など独特な形状です。


大雄宝殿 【国指定重要文化財】


鐘鼓楼 【長崎県有形文化財】
1691(元禄4)年築。1730(享保15)年に日本人棟梁が修築したのをはじめ、度々修築。


三江会所門 【長崎県有形文化財】
 三江とは中国の江南、浙江、江西のこと。1868(明治元)年に三江出身の中国人たちが、三江出身者の霊をまつる三江祠堂、次いで明治13年に三江会所という集会所を興福寺内に建てましたが、原爆により大破し、現在は門が残るのみです。


三江会所門 【長崎県有形文化財】

三江会所門内部にて「唐人さんの寝棺」
往時の中国人社会では生前に自分達の棺桶を用意して、寝室に立てかけておくのが慣わしでした。

中島聖堂遺構大学門 【長崎県有形文化財】
長崎聖堂(通称・中島聖堂)は東京の湯島聖堂、佐賀県の多久聖堂と並んで、日本三聖堂のひとつだったもの。
明治初年に廃滅し、門は1959(昭和34)年にここに移築されました。

旧唐人屋敷門 【国指定重要文化財】
建築年代は不明(1784年以降か)。現存する唯一の唐人屋敷の遺構。

寺町の様子
この周辺は寺が多く、寺町と呼ばれています。

深祟寺

眼鏡橋 【国指定重要文化財】
1634(寛永11)年、興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けたもので日本初の石造りアーチ橋。
度々水害に見舞われ破損しますが、そのたびに修復されてきました。


眼鏡橋 【国指定重要文化財】

旧・長崎無尽(現・長崎銀行本店)
1924(大正13)年築。眼鏡橋から真っ直ぐ、長崎電気軌道の線路沿いに歩くと現れる銀行建築です。