岩槻藩遷喬館と市宿通り(日光御成道)の古い町並み〜埼玉県さいたま市岩槻区〜



 「岩槻藩遷喬館」は、1799(寛政11)年に、岩槻藩に仕えた儒学者の児玉南柯(こだま なんか)が54歳の時に開いた私塾「遷喬館」で、文化年間(1805〜1811年頃)に藩校となり、藩士の子供が学ぶ「勤学所」となりました。
 遷喬館とは、詩経(中国最古の詩集)の「伐木」の一節、「出自幽谷 遷于喬木(幽谷より出でて 喬木に遷る)」に由来し、最盛期には広大な敷地の中に武芸稽古所、学問の神様である菅原道真を祀る菅神廟(天神社)、児玉南柯の自宅「梅亭」、庭園、展望台などを有していました。
 1871(明治4)年の廃藩置県により遷喬館は廃止され、現在は後に民家として転用された学舎のみが残ります。
 埼玉県内で保存されている藩校としては唯一の事例であり、1956(昭和31)年に当時の所有者から岩槻市に寄贈されたのを機に修理が行われたほか、2003(平成15)年から2005(平成17)年にかけて全面解体修理を実施し、遷喬館当時の状態に復元。現在は、さいたま市立岩槻郷土資料館の付属施設として一般公開されています。
 また、付近の市宿通り(日光御成道)には幾つか古い商家や近代建築などが残り、こちらも見どころです。あわせてご紹介します。
(撮影:裏辺金好)

○地図



○遷喬館の風景





15畳と9畳から成る二間続きの教場を備えています。





○市宿通り(日光御成道)の古い町並み


東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店) 【国指定登録有形文化財】
大正後期の建築で、煉瓦造2階建ての洋館建築。正面を3分割し、上部を半円アーチ型で飾る入口を中央に開き、2階は左右の対称位置に上げ下げ窓を開けています。


中野邸(藤宮製菓)
天保時代に中野酒店として開業したもので、築170年の蔵造りの建物が現存。2009(平成21)年に改修されています。

田中邸(田中屋本店)
嘉永年間創業の和菓子屋で、細長い敷地に店、製造所、住居と続きます。

志水邸
明治時代初期の建築で、染物屋を営んでいました。道路拡幅工事により曳家された上で保存されています。

さいたま市立岩槻郷土資料館
1930(昭和5)年築。元々は岩槻警察署の庁舎で、岩槻で初めての鉄筋コンクリート造の建築。

八雲神社
室町時代の1560年に、岩槻城主の太田氏の家臣である勝田氏が建築したもの。現在の名称になったのは明治時代です。


芳林寺
曹洞宗の寺院で、元々は太田道灌が松山城(東松山市)に建てたものを、戦国時代にその曾孫である太田資正(岩槻城主)が移したと伝わります。1591(天正19)年に高力清長が岩槻城主となった際、その荒廃を嘆き復旧しました。その後の火災に何度か見舞われますが、現在の本堂は1841(天保12)年築です。境内にはまた、太田道灌の銅像が建立されています。

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